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東京裁判の小のレビュー・感想・評価

東京裁判(1983年製作の映画)
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『生誕100年 小林正樹映画祭 反骨の美学』にて。日本人である以上観なければという思い込みで鑑賞。しかし、鑑賞中悪寒がしたかと思ったら、そのうちに体が火照ってきてしまった。風邪をひいたらしい。なのでまたいつか観ることにして、点数はナシで。以下、雑感を。

自分が感じたポイントは、①戦争の計画や開始そのものの責任を問う「平和に対する罪」を設定したこと、②アメリカが政治的な理由から昭和天皇を全力をあげて免責に持ち込んだこと、③インドの判事パルが、裁判の違法性と非合理性を指摘して全員無罪を主張したこと。

(なお①に対して、弁護側は、戦争は国家の行為であり、個人責任は問えないと異議を申し立てたが、個人を罰しなければ国際犯罪が実効的に阻止できないとして、裁判所は却下した。)

つまりこの裁判、戦勝国による結果ありきの感じを受けざるを得ないのだ。小林監督はこの映画で、一体何を語りたかったのか。満州に出征した小林監督は戦争という人生最大の理不尽を総括せずにはいられなかった、ということだろうか(2回目に確認すべきポイント)。

と思いながら、ググッてみると、小林監督とは関係ないけど、作家の半藤一利氏とノンフィクション作家の保阪正康氏が、東京裁判について対談している東京新聞の記事を見つけた。この対談の保阪氏の発言に「なるほど!」と、思わず膝を打ちたくなった。
http://www.tokyo-np.co.jp/hold/2015/toinaosu/list/20151129.html

<(東京裁判は)勝者による復讐で、二度と戦争を起こさせない仕組みをつくる裁判だったことは否定しない。だが、それを超える意義がある。>

<「平和に対する罪」「人道に対する罪」を許さないという二十世紀の文明理念を入れたことです。人類の普遍的な価値を裁判に持ち込もうとした努力を認めなくてはならない。私たちの国はそれを受け入れ反省した。そうすると私たちは凄い権利と義務を得たことになる。>

<つまり、戦勝国に「あなたたちは東京裁判で裁いた責任がある」と言えるし言わねばならないということ。侵略戦争や残虐行為が起きたとき、「日本を裁いた論理をあなたたちは崩しているじゃないか。何やってるんだ」と。しかし、平和を語る責任を日本は自覚していない。>

もし、平和を語る責任を自覚したいのであれば、これは是非とも見るべき映画。東京裁判は茶番だという意見があり、そうかもしれないという気もする。しかし、それは脇に置いておいて、日本は「平和に対する罪」で裁かれたという事実をしっかりと記憶にとどめ、世界にもっと主張しても良いのかもしれない。
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