140字プロレス鶴見辰吾ジラ

ブレードランナーの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

ブレードランナー(1982年製作の映画)
4.1
汚く、儚く、心地よく

1982年
30年前に描がかれたそう遠くない
今では目と鼻の先の未来

子守唄のような浮遊感のある音楽から明らかにハリボテ感のある未来都市が空撮により映され、地に足をつけてみれば、雑多でごった煮された屋台の並ぶ雨の止まないネオン街が出迎える。

当時において信じられた未来としてはあまりに味気なく汚らしいが、雑多すぎる都市の和のテイストに彩られた気味の悪さが嫌いになれないし、フワフワとしながら諦めのつくリアリティと心地よさを醸し出している。

人間が人間に似せて作り出した遺伝子操作アンドロイドの反乱を始末する役目を担わされたブレードランナー。五感は良いが人類のエゴの尻拭いなのだから、雨が汚らしく濡らす街を行く主人公の陰鬱さをよく表している。

当時ではスターウォーズなど含め勧善懲悪なヒーローが救世主になるようなSFCが王道であろうとされていた時代に、哲学的なアンドロイドをグジグジと雨の濡らす世界で自問しつつ始末しようとするという意表をつくような題材がカルト人気を勝ち取ったのだと感じた。

退屈と言われてしまえばたいくつであろう鈍重な捜査シーンに、華麗とは程遠いアクション。女レプリカントがグレートサスケのようなムーヴでデッカードに飛びつくシーンはあれど、最後には哀れにのたうちまわる姿が儚さとともに脳裏にこびりつく。

娯楽的とは到底言えないが、夢を見せられているのでは?と感じる地に足のつかなさに終始苛まれ、ヴァンゲリスの音楽からがさらにそれを増幅させる。

今作のボスキャラとなるルドガー・ハウアー演じるレプリカントの青色の瞳、ブロンドヘアー、筋肉の美的なつき具合が、非人間的だが信念を宿した眼差しでこちらを見るときに何か超越されたような印象を与えさせられる。

決して娯楽大作ではないが、CGやVFX至上主義の映像美の押し付け甚だしい娯楽SFよりも心地よさがあると思った。

続編製作が、ドゥニ・ビルヌーブ監督で決まっている今、今作の雰囲気というと陳腐な言い方になってしまうかもしれない魅力がどう息をするのかは楽しみにしたいと思った。