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クローズ・アップのwigglingのレビュー・感想・評価

クローズ・アップ(1990年製作の映画)
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衝撃度の高さではキアロスタミ作品のなかでいちばんかも。型破りすぎなうえに、おそろしく奇妙な作品です。
『そして人生はつづく』の前に撮ってることから、本作を起点に虚実が交錯する彼独特の作風が始まったのだと捉えることができそう。

イランの国民的な映画監督モフセン・マフマルバフになりすまし、ある裕福な家族からお金を騙しとって罪に問われたサブジアン青年の実話を、事件の当事者本人たちが演じる再現映画。

実際の事件の当事者が自分自身を演じるというのがミソで、この時点で事実通りに描くということを放棄している。ちょっと考えれば分かると思うけど、事件に関するいろんな反省とかが演技に影響を及ぼすだろうし、もっと単純に自分を良く見せようという気持ちも働くはず。
そしてキアロスタミはそれを狙っていたと思うんですよね。必然的に事実とは違ってくるだろうと。

そして監督自身も積極的に事実を歪曲しにかかる。警察が犯人逮捕に向かうのにタクシーを使うわけがないしね。車内での会話シーンってキアロスタミが大好きみたいで、多少不自然でもわざわざそういうシーンを作ってしまう。

あとこれも超変なシーンで、警察が屋敷に踏み込む際にタクシーを外で待たせておくんだけど、カメラもそこに残っちゃうんだよね。どうして警察と一緒に行かないの?逮捕現場を撮りたくないの?
所在無さげにボーッと待ってるタクシーの運ちゃんを映し続けるんですよ。そしてスプレー缶が坂道を転げ落ちるシーンを延々と撮ってたりする。
ナニコレ?

同行の新聞記者がテープレコーダーが必要になって近所を必死に探し回って、やっと手頃なのを借りれるんだけど、それを使うシーンが無いんですね。えーっ?
そんなどこにも行き着かない意味不明なシーンがたくさんある。

クライマックスは裁判シーン。
サブジアンはお金が目的ではなかった、他人から敬われたかったという。そして彼は本当にマフマルバフ監督のファンで、本当に映画を撮るつもりだったのだとも。
貧困故の「魂の飢え」が彼にそうさせたのだと。
映画で心を潤していたという証言は涙無くしては聞けませんでした。自分も一歩間違えばサブジアンなので。

そして、刑を終えた彼を出迎えるのがマフマルバフ監督なんですね。感激と申し訳なさで泣き出すサブジアン。
そこでまた仕掛けるんですねー。二人はオートバイで被害者に会いに行くんだけど、無線マイクの不調で二人の会話が途切れ途切れになる。いや、これは偶然そうなったのかもしれない。普通は絶対にマイクを変えたりするんだけど、そのまま撮り続けてそのテイクを使っちゃうんですね。
これが映画史上に残る絶大な効果をあげる機材トラブルになってしまう。

あ、いま思い付いたけど、後で編集でわざと音声をズタズタにしたのかも。キアロスタミならやりかねない。

とまぁ、とんでもない作品なわけですよ。そしてまぎれもない傑作。

自分はとりあえずマフマルバフ監督の『サイクリスト』を観たくなりましたね。でもこれも鑑賞困難作品という...。
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