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幸福の黄色いハンカチのMOCOのレビュー・感想・評価

幸福の黄色いハンカチ(1977年製作の映画)
5.0
「もし妊娠が本当だったら、あの竿のさきに何か目印上げとく。そうねぇ黄色いハンカチにしようか」

 楽しみにしていた赤ん坊が流産になり、過去の流産(別の人との妊娠)経験も聞かされた島勇作(高倉健)のやるせない思いは見ず知らずのチンピラに向けられ、振るった拳で倒れたチンピラは打ち所が悪く命を落としてしまいました。
 6年の刑期を終えた勇作は出所の日元妻にハガキを送ります「もし、まだ1人暮らしで俺を待っててくれるなら、鯉のぼりのさおに黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ。それが目印だ。もし、それが下がってなかったら、俺はそのまま引き返して、2度と夕張には現れない」
 勇作は、服役中面会に来てくれた妻光枝(倍賞千恵子)に離婚を切り出していたのです。

 試写会で観た作品です。山田洋次さん・高倉健さん・倍賞千恵子さん・渥美清さんのメンバーに桃井かおりさんと武田鉄矢さんの出演でずいぶん前から楽しみにしていました。
 当日、試写会会場にはあのポスターが貼り出されておりハンカチがどう演出されるのかは試写前からわかってしまいました。
 映画評論家の「良い映画です」の連呼を聞かされ「映画ですが、良い場面ではぜひ惜しみ無い拍手をお願いします」と締め括られた事で失笑する人達がいたことが今も印象に残っています。

 1970年代は任侠映画の衰退期になり日本の映画会社の路線変更が始まり、任侠映画のトップスターだった高倉健さんにとっても、落ち目のフォークシンガー武田鉄矢さんにとってもその後の俳優人生を左右する輝かしい映画への出演になった訳です。
 ド素人俳優であった武田鉄矢さんは「目線がカメラにチラチラ行ってしまう事を監督から指摘されても直らないため、強制的にサングラスを掛けさせられた」と後日語っていました。

 武田鉄矢さんは1973年の「母に捧げるバラード」がヒットし、翌年は紅白歌合戦に出場。その翌年の大晦日は皿洗いのバイトをしていたという今で言う『一発屋』なのですが、「母に捧げるバラード」の人気があった時に会場をキープしたコンサートに、ブームが去った後、お客様が10名程度しか集まらなかった時のトークは絶妙で、歌の途中で席を立つ人がいようものなら「お客さん❗かえらんといてー」と懇願して僅か10名程度のお客様から大爆笑をとっていました。
 既に確立されていたキャラクターに白羽の矢が当たった訳ですね。

 しかしながら、あらためて観るとこの頃の武田鉄矢さんは自分の見苦しさを売りにしていただけあって脂ぎって、ちょっと気持ち悪いですね。
 
 この映画は今で言うロードムービー風の作りになっているのですが、黄色いハンカチを印象的にするために、黄色い物の写り込みはNGで撮影されたと聞いたことがあります。その演出効果でラスト付近に耳に飛び込んでくる風にたなびくハンカチの音と、目の前に広がる無数の黄色いハンカチはすごく感動的でした。

 試写会の会場は名前も知らない評論家のおかげで、この場面は信じられない大拍手がおこり。会場に来ていた全員が映画館で観る感動とは比べ物にならない至福の時を過ごさせて戴きました。今も残る「おっちゃんやるじゃん、ありがとう」ていう感謝の気持ちを込めて、あの時のスコアで間違いなく5です。
 勇作の発する「夕張」のイントネーションが印象深く心に残ります。
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