むぅ

火垂るの墓のむぅのレビュー・感想・評価

火垂るの墓(1988年製作の映画)
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幼い頃はただ怖かった。

昔の朝ドラを観ながら、朝ごはんを食べるのが流行っている。
『カーネーション』『花子とアン』が面白かった。
「綾野剛好きなら『カーネーション』観るといいよ」という友人の勧めがきっかけだったのだけれど。
どちらも戦争が描かれる。
ナレーションやテロップが1945年、昭和20年に近づくと息苦しくなった。

戦争と言えば、で頭に浮かぶ映画が『火垂るの墓』『この世界の片隅に』だ。
夏が来る前にもう一度観てみようと思っていた。10年以上ぶりである。

幼い頃に観てショックだったシーンは、今もやっぱり辛い。
だけど、心にどよんとした影を落としたのは他のシーンだった。

"死"に慣れてしまっている人々の姿が辛かった。
"誰かの命が奪われること"が日常になっていることが怖かった。

母の死を節子には言えない清太だけど、庭に埋めてあった荷物を掘り起こしサクマドロップの缶を見つけて微笑み、梅干しを口に入れてすっぱい顔をして笑う。
生きていくために、それぞれが心にかけてしまったフィルターや"見ない" "考えない"でいる姿が辛かった。

生きていくために"慣れ"なくてはいけないことは多い。
コロナだって。
でも"慣れること" と "考えなくなること"は違う。
私も様々なことに、蓋をしたり、背を向けたりして生きている。
自分の心の柔らかい部分を守るために、それが必要な時だってある。でもそれを守るためにしている"見ない" "考えない"が、ずっと続くとその守りたい柔らかさは結局、硬くなってボロボロと崩れてしまうのかもしれないと思った。

清太はそのボロボロと崩れた自分の心のかけらもサクマドロップの缶に入れたのかもしれない。
だからこその、あのオープニングとエンディングなのだろうと思う。

まだ全然上手には出来ないけれど、自分が感じた怒りや悲しみ、どちらかと言うとマイナスな感情の中に何が入っているのか、ほどいて見つめることの大切さを改めて思った。
むぅ

むぅ