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雄呂血のMOCOのレビュー・感想・評価

雄呂血(1925年製作の映画)
4.5
「ならず者と称さる者必ず真のならず者のみにあらず、
 善良高潔なる人格者と称さるもの必ず真の善人のみにあらず」

 1925年モノクロ、いわゆる活弁士のつく映画です。十手、捕縄、六尺棒、さすまたなどの捕り物の道具を大勢の人に持たせて、さらに屋根上からは瓦が投げつけられ正義感の強い真っ直ぐな悲運の男一人に大捕物がおこなわれます。

 戦前期の剣劇映画の大半が紛失した中で「雄呂血」は阪東妻三郎プロダクション設立第1作であったことから阪東妻三郎がフィルムプリントを保管していたことで現在も観ることができる貴重な映画です。戦後、弁士の松田春翠がサウンド版として編集したものをDVDなどで観ることができます。
 従来の歌舞伎調の立回りを極力排除して、現実味のある迫力のある演出で撮影されたこの映画の登場がなかったら・・・、一年、二年遅れていたら・・・現代の侍の映画はどうなっていたのだろう・・・と思う革命的なチャンバラ映画です。YouTubeでも観ることができます。観るべき映画です。

 漢学者松澄永山の門弟子久利富平三郎(阪東妻三郎)は永山の誕生祝いの席で、家老の息子に無理強いされた酒を断ったことから喧嘩沙汰となり、一方的に謹慎処分となってしまいます。
 永山には皆が憧れる美しい奈美江という娘がおり、平三郎も憧れていたのですが奈美江からも暴力をとがめられ、嫌われてしまいます。
 謹慎中の平三郎は「奈美江は家老の息子に言い寄りすでに女になっている」と噂をする若い侍に刀を振るったことで、破門を言い渡されてしまいます。平三郎はせめて奈美江の誤解を解こうと永山の家に忍びんだところを永山に見つかり君主から暇(いとま)を出されるのですが奈美江への想いから城下を出られないまま落ちぶれていきます。

 一年後、平三郎は些細な出来事から誤解を招き投獄され、刑期を終えると投獄中に知り合った男と偶然出合い、男の所に身を寄せます。しかし所詮犯罪で投獄されるような男、誤解から投獄された平三郎とは根本的に質が違う悪なのですが平三郎は気づく事ができません。
 男の用心棒となった平三郎はいつしか身なりも良くなり食事に通う小料理屋のお千代に奈美江の面影を見つけ好意を持ちます。平三郎の気持ちを知った男は近々行う大きな悪事の前に平三郎に恩を売るためお千代を誘拐して平三郎に充てがいます。平三郎は叶わぬ想いから一度はお千代に襲いかかるのですが、自制心が働き留まります。

 その時男の計画を聞き付けていた奉行所が押し入り、平三郎はお千代を巻き込まないように逃がすのですが、平三郎は一味として捕らえられ再び投獄されてしまいます。
 お千代を思う一念から平三郎は牢を破りお千代の家を訪ねるのですが数ヶ月の内にお千代は人妻となっており、泣く泣く立ち去ろうとするとき、追っ手に取り囲まれます。
 平三郎は偶然に侠客・次郎三の家に飛び込み、かくまわれ身を寄せるのですが次郎三は世間の評判とは裏腹に、夜な夜な若い娘を拐って手篭めにしていることを知ります。
 ある夜、病の夫とその女房を招き入れた次郎三は夫が弱っていることをいいことに女房を手篭めにしようとします。
 平三郎はそれが奈美江であることを知り次郎三に助けてやって欲しいと懇願するのですが聞き入れてもらえず「助けるまで」と次郎三達との立ち回りがはじまります。次郎三を斬り捨て夫婦と裏口から逃げ出すのですが裏口には騒ぎを聞きつけた多くの役人がおり、脱獄者平三郎の捕り物がはじまります。およそ200人を相手に身を守るための大立ち回りの末、ふと我にかえるといつの間にか人を殺していることに気が付き刀を手放すと、平三郎は捕えられ誰からも理解されることなく「ならず者平三郎」として群衆の中を引かれていきます。群衆の中にはお千代の夫婦も・・・。ただ次郎三の毒牙から助け出された奈美江夫婦だけが遠くから涙ながらに平三郎を拝むのでした・・・。

 あっと言う間のエンディング、『不条理』な世の中を生きる平三郎にただただせつなく胸が押し潰されます。古の映画は本当に良い。
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