綾野剛版『マディソン郡の橋』が観たい。
先日『シャイニング』を観て日本版でリメイクするなら、ジャック・ニコルソンは香川照之で是非と思ったという話から、それぞれの好きな俳優版『名作と言われる映画』キャスティングをzoom飲みしながら楽しんでいた。
「じゃあ『ミスティック・リバー』の3人なら、誰を綾野剛にやって欲しい?」
という友人の質問に
「観てない!観ます!」
となった。
ふざけあっていた少年時代。
3人は乾いていないセメントに、自分達の名前を刻む。
ジミー、ショーン、デイヴ。
デイヴがその名前を書き終える前に事件は起こる。
事件をきっかけに疎遠になっていった3人。大人になり家庭を持った頃、ある殺人事件をきっかけに再び出会うことになる。
同じ"川"の流れにいると思っていた3人。事件をきっかけに、枝分かれしていったそれぞれの人生の流れ。その分岐点に今も留まっているのは誰なのか。
デイヴの書きかけの名前が辛い。
下水に落ちてしまったホッケーのパック、最初の事件の犯人の指輪とジミーの背中に刻まれたタトゥーその二つの十字架。
それに込められた意味を考えると、川底に沈んでいくような感覚になる。深い。
"深い"で済まそうとする自分が"浅い"が。
犯罪は収束することも、終息することもなく、それに関わった人がいる限り川の流れのように続いていくものなのかもしれないと思った。暗く静かに流れる川だと思っていたら、濁流に足をとられたような感覚になる映画だった。
「3人、どの役も観てみたいけどジミーがいい!」
「デイヴって言うと思ってた」
うん、そうなんだけど、あのねと返信しようとしていたら
「待って。既読になってからの間が怖い。長文送りつけようとしてるね?」
「(ニヤリのスタンプ)」
「(やめて!のスタンプ)」
簡単にせき止められる流れもあるのだという事を知った。