yoshi

ミスティック・リバーのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

ミスティック・リバー(2003年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

人は大なり小なり何かしらの秘密を持って生きている。
この映画に登場する人物は全て秘密を抱えている。そこは共感できる点だ。
実際の人生において秘密なんて無いと言う人はいないと私は断言する。
経験を積んだ大人のドラマであり、秘密を守り通そうとする人々の物語だ。

昔はワルだったジミーの19歳の娘ケイティが突然何者かに殺されてしまう。
犯人を警察よりも先に見つけてこの手で殺してやると娘の遺体に誓うジミー。
ジミーには昔、自分を警察に売った裏切り者を殺したという秘密がある。
しかし、その遺族に送金し続ける義理がたさを持っている。

その事件を担当する刑事のショーンは、ジミーの幼馴染であり、過去に仕事に取り付かれた挙句、妻に突然家を出て行かれて、孤独な生活を送っている。
ショーンには、夫婦の間で何が起こったかは親しい同僚にも秘密にしている。

2人の共通の幼馴染であるデイブは、妻にも息子にも、捜査の重要な場面でも、辻褄の合わない嘘をつく。
デイブには正直すぎたことで、過去に自分だけが事件にまきこまれた秘密がある。
またジミーの娘が殺された夜、何をしたのか秘密にしている。

これらの登場人物の秘密が伏線となり、ラストでことごとく悲しい方向へとつながってゆく。

男たちがすべての胸の内を吐き出した後、彼らの妻たちが物語を紡ぎ出す。
私が愛した男を擁護するかのように。
夫の秘密を守るかのように。

ジミーの妻は、ショーンから娘を殺した真犯人を知らされた後、勘違いで罪なき者を殺してしまった罪悪感に激しく苛まれるジミーを抱き寄せ、家族のために行動したあなたは悪くないと囁く。

ショーンの妻は、事件で疲れ果てた夫の心を察して、ごめんなさいと謝罪した後、彼のもとに戻る。夫の仕事を理解して、傷ついた心を守るかのように。

デイブの妻は夫を愛していたものの、夫がジミーの娘を殺したという疑惑を抱いてしまい、夫を信じきれなくなってしまったことを激しく後悔する。


ラストのパレードの場面で、
ジミーはサングラスをかけ、自分の目を隠している。もうお天道様に顔向けできない罪を背負ったジミー。

ジミーの妻は気丈にも顔をあげて、デイブの妻を見つめる。あなたが自分の夫を信じられなかったことが悪いのよと言わんばかりに。

デイブの妻がパレードの上の息子に呼びかけながら、走り続ける。
夫を失い、信頼を失った女の孤独な姿。
事件の真相を知った後、大きな声で胸をはれとばかりに、息子に声をかける姿は夫の名誉回復のためにも見える。

ジミーのすぐ向かい側では妻と和解したショーンが家族三人でたたずむ。

ジミーと目があうと手でピストルのかたちをつくり撃つ真似をする。

それはお前の秘密を握っているというジミーへのショーンの警告なのか?

私にはショーンもジミーの秘密を守り続ける共犯関係を決意するサインだと解釈する。

なぜなら、ショーンがジミーの罪を捜査し、彼を検挙したならば、ジミーの子分に報復される恐れがあるからだ。
自分の元にやっと戻った家族に…。

ショーンの悪戯っぽい少年のような目が、「お前の秘密は黙っててやるよ。ただ家族に手を出すな。」と語っている。

ジミーは「何のことだ?」と同じく少年のようにトボけるのだ。

「水に流す」という言葉がある。
しかし、流すことのできない罪の重さと、秘密を登場人物たちは一生心に引きずって行くのだ。

それに耐えきれるのは、間違っていたとしても、心に強さを持った者たちだけだ。

鑑賞後の後味は、決して良いものでは無い。

しかし登場人物が、法律をも超えて家族と幸せを守ろうとする(守ろうとした)姿、愛情や覚悟といったものをイーストウッド監督は描きたかったのではないだろうか?

家族を持つ人にこそ見てもらいたい。問われる意味の深い大人の映画である。

(ショーン・ペンの慟哭に涙しない親はいない❗️)
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