kuu

真珠の耳飾りの少女のkuuのレビュー・感想・評価

真珠の耳飾りの少女(2003年製作の映画)
3.9
『真珠の耳飾りの女』
原題 Girl with a Pearl Earring.
製作年 2003年。上映時間 100分。
世紀オランダの天才画家フェルメールの肖像画をモチーフにしたベストセラー小説を映画化。
妻子のいる天才画家と、彼と運命で結ばれた少女のもどかしくもプラトニックでありながらも官能的な愛の物語が展開する。
名画『真珠の耳飾りの少女』のモデルとして描かれる主人公グリートを演じるのはスカーレット・ヨハンソン。
共演にはコリン・ファースらが名を連ねている。
17世紀オランダを再現した美術や衣装も素晴らしい。

1665年オランダ。失明した父の代わりに家計を支えるため、画家フェルメール(コリン・ファース)の家で使用人として働くことになった17歳の少女グリート(スカーレット・ヨハンソン)。
やがて、その美的センスをフェルメールに認められた彼女は、彼の手伝いをし始める。。。

破壊的に力強く要請する二つのアピールに気付けば漂い堪能させて貰いました。
今作品のアピールを感じる一つに、パラノイアとも云える頑固なまで余すところなく描かれた絵画イメージング映像は、どの部分を切り取っても絵画になるようで素晴らしかったです。
絵画でも鑑賞してるつもりで映画を見ても十分楽しめる作品やと思いますし、安直に挿入曲にバロック音楽を使わなかったところも好感を持てました。
(フェルメールの妻が弾くチェンバロの曲は別として)。
色々と俗的な話が持ち上がることが多いフェルメールの代表作が題名だけに、矢張り凝りに凝っている。
ただ、フェルメールの世界観が再現されとるちゅうよりも、
今作品を観ているものが欧州にあるミュージアムの中世を展示してる一角に彷徨い歩く如く、完璧に恍惚の中に漂える。
映画タイトルと同名の北のモナリザとも称される名画『真珠の耳飾りの少女』。
ダヴィンチの傑作 『モナリザ』 と並んで称賛を受けていますが、実際の絵画と今作品ポスターを見比べたら今作品のレベルの高さに頷けるかと。
映画に描かれてるのは、確かに市民の日常生活、買物、料理、洗濯、水汲みet ceteraの諸々やけど、それを細部まで描くのはフェルメールの技巧と似てるとも云えると思う。
(光の中にふとした所に陰を魅せる歪んだ真珠バロック芸術は美しい)
中世の欧州的絵画を描きたいって製作にあたったモノたちの自信と確信に満ちた想いが鮮烈に伝わってきました。
また、もう一つは、スカーレットが身体が持つ熱度で演じる、かの中世女の生の歩みと、その陰の男たち。
バロックしてるなぁ。
19歳のスカーレット・ヨハンソン演じるグリートの熟れ始めた妖艶さに、野郎フェルメールが彼女に酔いしれ、常軌を逸する辺りが理解できるしオモシロく。
フェルメール(コリン・ファースの厳格な顔立ちは渋すぎる。この演技をしてる姿のままでエレキギターを持ちクラシカルメタルの曲をかき鳴らしてほしい。スカーレット・ヨハンソンは歌手でもあるし二人でメタルユニットなんか組んだらヤバいかも)絵画、そして、グリートへの思いのストイックさ、パトロンの強欲が痛いまでに伝わる。
グリートの生きて存在しているだけでこの時代じゃ禁句とも云え、知的かつ美を持つ女は魔女とされる時代やった。
女性の敵愾心や妬みは時代を超越した永遠の有徳であり悪徳でもあると思うけど、
なんと云っても意地悪なフェルメールの妻娘の目がコワい。
ピーター(イカしたキリアン・マーフィー)にグリートが保険をかけたのは、女性の持つ生きるための知恵なんかなぁ。
どの時代、場所においても、腐れかけの野郎は若い果実の薫りがする女子に心奪われる。
中には家庭を持ってる野郎から、ある程度の身分がある奴までいる。
そんな野郎が別れの手切れ金に『真珠の耳飾り』で終わらせるんて、スマートな別れなんかなぁ。現実に彼女が必要としてるのはゼニやと云いたいが、そりゃロマンチックじゃないのかな。
勝手に想像してますが、作中、ピアスを貫通させる場面があるんですが、それはまるで処女喪失をメタファーさせてるようでなんとも云えない緊張感でした。
ナニワトモアレ、美しい映画でした。

余談ですが、フェルメールも絵画も歴史上の実在の人物ですが、今作品の脚本はトレイシー・シュヴァリエの小説に基づいているため、大部分がフィクションまたは仮定の話です。
フェルメールの絵画は現在35点現存してるが、モデルも誰一人として明確に特定されていない。
(モノの本には27点とされてますが、2作品のズレが起こってます。『フルートを持つ女』と『赤い帽子の女』この2作品が贋作では?と云われてます。)
原作のシュヴァリエは、寝室に飾られていたこの絵のポスターに触発され、フェルメールの既知の歴史の枠組みに基づき、この絵が存在するようになった経緯を自分なりに書いてみたのだそうです。
シュヴァリエは映画化権を売却し、映画や脚本には一切関与しないことを選択したが、公開後はその結果に満足していると語っている。
後、作中、グリエがフェルメールのアトリエの窓を洗っているシーンがあるが、実際、このときにインスピレーションを受けフェルメールが描いた絵が『水差しを持つ女』。
ほんと、そのマンマ。ママンはムルソー。
現在、絵画『水差しを持つ女』現物は、NYのメトロポリタン美術館に展示されている。
kuu

kuu