ベイビー

エル・スールのベイビーのネタバレレビュー・内容・結末

エル・スール(1982年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

1957年のある朝。母が必死で父を探す大声でエストレリャは目を覚まします。この時15歳のエストレリャは、その母の慌てぶりと父が枕元に残していった振り子から、父がまた失踪したのだと察し、そして父はもう戻って来ないことを悟ります…

そんな冒頭から始まる物語。このシーンに於ける一連の美しさは本当にお見事で、冒頭の空気感だけで作品への期待値が膨らんでしまいます。特にエストレリャがベッドの上で、父はもう戻らないと悟った時のライティングは本当に美しく感じられました。

一般ならエストレリャの心情を強調するよう彼女にズームしがちですが、本作では朝陽を利用して、エストレリャを静かに照らして行きます。その効果は絶大で、これは主人公のエストレリャにスポットを当て、彼女の心情を照らすだけでなく、これから語られる“霊力”や“父”の存在(結末)を、温かみが感じられる陽の光で表しているように感じられました。

幼い頃から父が霊力を利用し、ダウジングをして水脈を見つけていたことに何も不思議と思わなかったエストレリャでしたが、ある日父の書斎で“イレーネ・リオス”という、女性の名前が書かれた紙を見つけたことにより、エストレリャは初めて父の謎に触れ、今まで自分の知らなかった、“本当の父”の姿を探し始めます。

このように、この物語はエストレリャが父との思い出を回想しながら、父という人物像を見つけて行くお話なのですが、その父を語る上で多くの“対比”が記されています。

父と祖父、人民戦線政府と反乱軍(フランコ政権)、正義と不正義、現在と過去、不思議と理、家庭と恋、そして北部と南部(エル・スール)…

具体的に何処とも記されていない“南部”(故郷)を離れ、何処とも記されていない“北部”でエストレリャたちは生活をしています。ただ明確に示されていたことは、父は南に住む祖父と疎遠になったこと。そして祖父は昔で言うフランコ軍であり、父は共和国政府の思想に傾いていたということ。スペイン内戦を機に、二人の立場が逆転してしまったこと。それらを踏まえ、父はもう南へ戻らないということ。

エストレリャが父の姿を探すということは、父の過去に触れるということです。これを俯瞰で捉えれば、父の姿は内戦で倒れた兵士たちとも重なります。自分たちの正義を信じていたものの、戦いに敗れ、正義はひっくり返ってしまいました。そのことで故郷を追われ、恋人と離れることも余儀なくされてしまいました。

そう考えると、“南”を意味する「エル・スール」というタイトルは、“郷愁”とか“追憶”という意味を示唆しているのでしょう。それで言えば、エストレリャたちが住む北部の家が「カモメの家」と呼ばれ、父が家の前の道を「国境」と呼んでいたことも、何となく説明ができます。容易には渡れない国境のようなこの境界線を、渡り鳥のように渡って行けたらと…

父にとってのイレーネ・リオスは、きっと“郷愁”を誘う存在だったのだと思います。殺され役とはいえ、スクリーンで見つけてしまったかつての恋人の姿に動揺を隠しきれなかったのでしょう。その時彼の振り子が揺れ始め、自分の本当の居場所を求めたのだと思います。

戻りたい、もう戻れない…

最後に父が残した長距離電話の領収書。その通話先はエル・スール。そのことからきっとイレーネに掛けていたのだと思います。会いたいのに会えない。帰りたいのに帰れない。これは物質的な距離感ではなく、内戦が残したわだかまりです。不可逆的に過去へは戻れないように、戦に敗れた者が戻る場所は、もう南(エル・スール)にはないのです。

エストレリャの初聖体拝受式の日、父と一緒にパソ・ドブレを踊っていました。そこに流れていた音楽は、南の“エン・エル・ムンド”という曲。このアコーディオンの伴奏に合わせて、二人で踊る姿は本当に素晴らしいシーンでした。これは二人で踊った思い出の曲であり、二人で最後に聴いた曲でもあります。

初聖体拝受式の日にエストレリャは「写真屋にあるお嫁さんの姿が滑稽だから、私は花嫁にならない」と言っていました。しかし15歳になって彼女も多少は大人になったのか、それとも自分の写真もウィンドウに飾られるようになって価値観も緩くなったのか、隣の部屋で“エン・エル・ムンド”の曲に乗りながら踊る花嫁みる目線は、少し好奇なものに変わっていたように感じられます。

そのエストレリャが少女から少し大人へと移り変わって行く時間の作り方が本当に素晴らしいですね。このエストレリャが成長する時間が、現状を何も変えられなかった父の時間軸との対比となります。

思い出話をするように、イレーネのことを父に尋ねるエストレリャですが、父は何気なく嘘をつき、この話をはぐらかそうとします。それは今でもイレーネを思い続けている証拠とも取れます。

このエストレリャの質問と偶然隣から聞こえてきたエン・エル・ムンド”の曲のせいで、この時父は深く郷愁に駆られたのでしょう。ですから父はその日長距離電話をし、その会話の中で追憶を噛み締めながら、なんらかの絶望を覚えたのではないでしょうか。もう戻れない時間は彼の悲哀を作り出し、絶望を与え、そして物語の終わりと冒頭を繋げて行きます…

本来、この作品の上映時間は3時間予定されていたそうなのですが、プロデューサーの強い意向で後半90分の上映を許さず、今の95分の作品になったとのこと。作品を観終え、少し消化不良だったのはこのせいかと思い、改めて完全版が観たくなりました。削られた後半部分でエストレリャは何を見て、何を感じたのでしょう。とても気になるところです。

しかし95分だけでも充分見応えのある作品でした。画角の美しさもさることながら、古さを感じさせない無理のない編集や、自然光をふんだんに使った演出は、本当に素晴らしいという言葉しか出てきません。

ずっと前から観たいと思っていた作品。
映画館で観ることができ、とても幸せです。
ベイビー

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