平野レミゼラブル

麻雀放浪記の平野レミゼラブルのレビュー・感想・評価

麻雀放浪記(1984年製作の映画)
4.5
「昭和初期の人間のクズかオメー」
「麻雀放浪記の鹿賀丈史以来のクズだわ」
(『以下略』平野耕太著より)

予備知識として上記のように『鹿賀丈史がクズ』という知識以外皆無な状態で2020の予習も兼ねての鑑賞。
麻雀知識は無料公開されてる時の「一八先生」読む程度です。つまり皆無だったんですけれどもいやー面白かった!!そして鹿賀丈史は想像を絶するクズだった!!

この作品は麻雀のルールすら理解できてない自分でも楽しめた作品なのだが、その理由はわかりやすさにある。
イカサマを仕掛けるにしても、あっなんか仕掛けたんだなってすぐにわかる丁寧なカメラワークが有難い。
そして何よりもわかりやすいのが、クズであるほど麻雀強者であるという明確な指標が存在していることにある。
作中での「博打打ちで何も失わない人間なんているわけない。いるとしたらそいつは人間性を失っている」の言葉通りに強いやつほどクズなのだ。
そして最終的にそのクズ筆頭に立つことになるキング・オブ・クズこそ鹿賀丈史演じるドサ健なのだ。

ドサ健のクズっぷりは凄まじいものがある。
主人公の坊や哲に対しての一方的に恩を売って酒を奢らせるわ、財布として利用したあとはあっさり見捨てるなんてクズ行為は序の口。
彼女のまゆみに対しての行為がもう凄まじく、賭け事に熱中するあまり彼女の実家まで無理矢理賭けて奪われるわ、そんな状態でも賭ける金欲しさに彼女を女郎として売り飛ばしてしまうわで、いっそクズが極まりすぎて清々しい。
そこまで酷い目に遭わされながら、彼に依存されることに快感を覚えているまゆみもまあ大概ではあるのだが、とにかく物語後半からは主人公であるはずの坊や哲を蚊帳の外に置いてのドサ健クズタイムである。
実質、裏主人公と言っても過言ではない。
そんな人間のクズであるドサ健が、自らを超えるクズである出目徳に対して抱いたある種の『敬意』と『シンパシー』はクズでありながらカッコいいものがあった。

この物語は間違いなく「愛の物語」であり、そして最終的に「愛を投げ捨てる物語」でもある。
作中人物全員に抱える『愛』が確かに存在し、それにも関わらずつまらない賭けで全て台無しにすることも厭わないのだ。
それぞれが売り物にした女への情念とか、売り飛ばした女への執着とか、女に恋い焦がれた自分との決別とか、残してきた女とやっぱり暮らしたいという欲とか、それぞれが女性に対しての確かな『愛』を抱えているのに、賭け事に熱中するあまり皆して『愛』を忘れてしまう。
まあその姿を一言でまとめるとやっぱり「クズ」になっちゃうんだけれども、クズにはクズなりの生き様があり、クズでも極めたら尊敬してしまうモノが確かにあるという漢の世界。
とにかく格好良い作品であった。別に目指そうとは思わないけれども!

超絶オススメ!!