140字プロレス鶴見辰吾ジラ

猿の惑星の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

猿の惑星(1968年製作の映画)
4.0
【世代交代】

小4のとき担任の先生が授業中に「猿の惑星」って映画知ってる?と切り出し、クライマックスの自由の女神のくだりまで全部話してくれた。オチを言うなよとは少しばかり思ったが何か馬鹿馬鹿しい映画なのか?とも思っていた。

土曜の洋画劇場で「猿の惑星」が放映されて、当時はチャールストン・ヘストンの価値など知らぬままに鑑賞。想像以上に怖い映画だった。人間がマイノリティ化して猿に言いように奴隷にされている現状と宇宙飛行士ゆえに仲間もいないまま言葉の通じぬ人類と支配者の猿と相対するのはすこぶる絶望的。猿は旧日本兵のメタファだとかは当時は知るよしもないがオチを知っていた分、ネタばらしまで見えた絶望的なドッキリショーに単純に恐怖を感じていた。

最後の「地球だったのか!」よりも前の猿の支配から抜け出すために勝ち目のない裁判に立たされる主人公の感情と誰かの残した言葉を話す人形のシーンが、宗教的かもしくは取り返しのつかない裏を暴くようで震えたわけだが、今現在言葉の通じぬような無法の衆が我々の未来に取って変わることは、テロリズムだったり、貧困だったり、それこそ「26世紀青」の裁判シーンのように笑うことのできないモノだ。猿が支配しているという設定抜きにしても、いつかは有識者層やリベラリストや共産主義者も太刀打ちできないような世代交代が起こるようで不安で仕方ない。むしろ隕石や巨大地震でひと思いに殺してくれとさえ思う。怪獣映画にときめくのに、猿の支配に恐怖したのは、解放でなく自由を奪われてしまうことに怯えたからだと思う。地球であることよりもどこか場所や状況や言葉もわからぬまま支配層に飲み込まれ、抑圧することを今のタイミングで鑑賞したとしても根源的な憂いとして本作に見てしまうと思う。