マンボー

隠し砦の三悪人のマンボーのレビュー・感想・評価

隠し砦の三悪人(1958年製作の映画)
4.2
この頃の黒澤作品には、映像としてのダイナミズムと、創作への野心が渦巻いていて凄みを感じる。

冒頭の捕虜の暴動シーンの迫力に呑まれ、木の枝に金が仕込まれていることや、隠し砦の存在に引き込まれて、敵中突破を図る作戦採用にストーリーを面白くするためとはいえ、そんな馬鹿な、真夜中に山中のどこかで騒いで敵を引きつけ、敵の目を盗んで手薄になった国境突破を図る方がどんなに成功する可能性があるかと思いながらも、ストーリーを楽しむことに決め込み、山名や秋月の名前に、この作品の舞台のイメージは九州か山陰か等とにやにやしながら彼らの動向を追い、うす汚く夜露をしのぐ以外に何の意味もなさない木賃宿を見つめ、安宿とはいえ当時の雑兵はこれほど何もない宿に押し込められていたものかと思いつつ、現代の風俗研究で、室町時代後期の荒れ果てて、ほこりっぽい木賃宿の概念が変わってやしないかが気になってしまった。

ストーリーは力技でぐんぐん引っ張られ、リアルなのに超人的な一騎討ちがあったり、身内が姫の貞操を狙うエピソードがあったり、その土地独特の祭祀が鍵になったり、銃撃は異様に恐ろしいほどリアルだったりで、まぁどこまでも飽きさせないし、ハラハラして、イライラしガックリきて、さらに追い詰められる切迫感や絶望感に打ちひしがれる目に遭わされる等、観客の感情を揺さぶる演出もさすがだし、絶望で終わらせないストーリーテラーぶりにも好感が持てる。

はっきり言って、大筋のストーリーは、まずありえない展開でリアルではないけれど、一つ一つのエピソードの風俗研究にそれなりの説得力があり、演出も緻密なので、そもそもまずありえない展開なのに、ありえるような気持ちにさせられる辺りがとにかく巧くて、虚構は虚構として、とにかく愉しめてしまった。

この頃の黒澤さんには、絶体絶命の展開の中でも、奇跡を信じ自分を信じて、絶望をひっくり返し、切り抜けてしまいそうな強烈な自己肯定が見てとれて、それが全編に渡り、大いなる安定感、安心感を与えてくれる。

娯楽なのにそれだけでは終わらない作り手の気魄と熱意が細部にまで及んだ野心的な作品。作り手の放つ熱風に、観る側が少々感じざるをえない不条理すら焼き尽くされて、その勢いについつい胸も焦がされてしまう。