マンボー

最後の決闘裁判のマンボーのレビュー・感想・評価

最後の決闘裁判(2021年製作の映画)
3.9
リドリー・スコット作品には、毎回一定の期待感があり、観ればそこそこ面白いのだけど、どこか物語や人物造形が平明過ぎて、厚み深み、陰影や奥行き、繊細さが足りないため、観た直後はそこそこ面白くても感動が尾を引かない恨みがあって、本作にはこれまでの作品に比べて、特に構成など見せ方に工夫を感じるけれど、それでもこれまでの印象が大きく変わることはなかった。

三者それぞれの視点で描かれた各々のストーリーの描き方と構成は一定の効果をあげているものの、妙味にはやや乏しく、芥川作品を踏襲した黒澤羅生門の錯綜した心理的ミステリー調のストーリーテリングには遠く及ばないけれど、それぞれが主観に徹して都合よく語り、一人として理想主義的な高潔さを貫いた人物がおらず、それぞれが己れの生々しい利得を行動原理において、あくまで利己的で人間的、人に聞かせられないような悪態を飛ばし、時に他人に見せない場面でひどく唇を歪めて行動しているさまの醜くも身に覚えもあり、情けなくも身に沁みる有り様の赤裸々さたるや。

本作では、中世のひたすら封建的な地位優位、男性優位、力優位の社会構造による、力無き者の権利がいかに弱く、理不尽であったことかを改めて強く思い知らされる。
また本作はいかにも大衆相手のフィルムメイカーの作品らしく、大衆の嗜好に合わせて勧善懲悪の傾向で語られているものの、実際の中世では、必ずしも今作のようにならなかった事例もあるだろうことは想像に難くなく、なおさらやるせない。

人間は自分の気持ちほどには、どんなに身近な人だとしても他人の気持ちを理解できず、時に理性すら押しのけて、身勝手で本能的な欲望のままに他人を陥れたり危害を加えて、自分や自分につながる人々の欲望を満たそうとする。そんなとき被害を受けるのは、ただただ力関係で弱い立場の人になりやすい。

近年、直接的な暴力の多くは裁きを受け、間接的な力関係の強弱が引き起こす理不尽な有利不利にも、以前より人々は自覚的になりつつある。そんな社会を背景に、本作のような力関係が一番顕著だった時代の映画を作って、現代に改めて問い直す行為は、時流を読みつつ現代へのさらなる戒めでもあるだろう。

人間は弱者の痛みを体感し、やっと身に沁みて感じることができ、さらに分かっていたはずでも、時が経ち立場が変われば、当時の気持ちを忘れてしまうことがある。だから時々、弱い立場の人々や相手の気持ちに想いを寄せる機会を持つ必要があり、本作はそんな時間を改めてつくりだす作品にもなっているとも思う。