タケオ

コラテラルのタケオのレビュー・感想・評価

コラテラル(2004年製作の映画)
3.8
一晩で5人を暗殺する仕事を引き受けた殺し屋と、彼を乗せることになってしまったタクシー運転手の濃密な一夜を描いたクライム•サスペンス。本作がマイケル•マン監督のフィルモグラフィの中でも特別異質に感じられるのは、主人公のタクシー運転手マックス(ジェイミー•フォックス)がごく普通の男だからだろう。『ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー』(81年)や『ヒート』(95年)など初期の頃から一貫して「ある特殊な道を極めたプロたちのぶつかり合い」をマンは描いてきたが、マックスは真面目で勤勉な性格ではあるものの、いつかはリムジン会社を経営したいという夢になかなか踏み出すことができない臆病な男として描かれる。ストレスを感じるとサンバイザーの裏に貼られた南の島の写真を眺めて現実逃避するような、夢みがち男なのだ。一方のヴィンセント(トム•クルーズ)は、マックスとは対照的な冷酷極まりない殺しのプロだ。「ロスの地下鉄で1人の男が死んでも、そのまま6時間誰も彼を死人だと気付かない」「60億人いる中の1人を殺すだけだ、誰も困りはしないさ」という発言からも、彼が「死」という概念に対して独自の確固たる価値観を持ったリアリストであることがわかる。マックスはそんなヴィンセントに抵抗できぬまま振り回され、自分の中にある幻想を徹底的に打ち砕かれていく。自分が「自ら行動することのできない未熟者」だという現実に直面させられる。タクシーで出会った瞬間、ヴィンセントはマックスの新たな父となるのだ。『映画は父を殺すためにある: 通過儀礼という見方』(12年)という島田裕巳の名著もあるが、『スターウォーズ』シリーズでルークがダース•ベイダーと対峙したように、『ファイト•クラブ』(99年)で僕がタイラー•ダーデンを超えたように、次第にマックスもヴィンセントへと立ち向かわなければならなくなる。いつのまにか失ってしまっていた'信念'と'男らしさ'を取り戻すために。物語を展開するために仕方がないとはいえ、ヴィンセントというキャラクターがプロの割にはやや間抜けに見えてしまう場面が多々あったのが少し残念だったが、臆病な男が漢へと成長するための'イニシエーション'を濃厚に描いた、なんだかんだでマイケル•マンらしい作品である。
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