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暗黒街の顔役のryosukeのレビュー・感想・評価

暗黒街の顔役(1932年製作の映画)
4.5
冒頭、一瞬で緊張感を醸し出し観客を引き込むクールな長回しに痺れる。本作を見ていると、映画の冒頭10分ぐらいはつまらなくてもしょうがないみたいな雰囲気は甘えでしかないなと思ってしまう。
大体二年半ぶりに再見したが、やはりキレッキレの傑作。初見時もクールな描写の数々が強く印象に残っていたが、ある程度映画を見てから見直すと、この洗練され具合の凄さがひしひしと伝わってくる。
敵対組織の系列店の襲撃などは、一つ一つのアクションを引き伸ばして見せ場にすることも可能だが、簡潔さとテンポを重視して次々に畳み掛けることで凄まじいスピード感に仕上がっている。
銃撃音に合わせてカレンダーが捲られていく描写も、時間経過を表して省略する演出としてこれ以上に洗練されているものは中々無いのではないか。
カメラに向かって銃を乱射するイカした描写は今では定番化している(例えば「アウトレイジ 最終章」)が、これ以前にもあるのかな。まさか初出?
マッチの使い方も実に上手い。警官のバッジに擦り付けることで主人公の権力への侮蔑的な態度を表し、ポピーが二人の男の一方から火を受け取るシーンは力関係の逆転を鮮やかに示す。小道具の効果的な使用がテンポを損なわず90分で簡潔に語るという美徳の実現に貢献している。
カーチェイス、車を用いたアクションもこの時代とは思えない迫力。ノワール的な画作りの夜道(本作を最初期のフィルム・ノワールとする分類もあるようだ)で行われる、カメラのすぐ側まで車が迫るショットを混ぜた迫力満点のカット割りが素晴らしい。
当然主人公を演じるポール・ムニの自信に満ち溢れた不敵な笑みの迫力、魅力も凄まじい。 キレッキレの描写の合間合間に、割と間延びしかねない無色透明の演出の会話シーンがあるが(これはこの時期のハリウッド映画は大抵そう)、存在感たっぷりの彼が常に画面に登場することで完全に間を持たせている。
初見時は割と陰惨なイメージだったが、見返して見ると秘書(ヴィンス・バーネット)の絡むエピソードは中々愉快で、ホークスのコメディセンスも光っているな。彼は間抜けだが中々忠実な奴で、ラスト間際には自分が撃たれたのに律儀に鍵を閉めたり、初めてまともに電話を受けて嬉しそうにしたりとちょっと可愛らしくて、可哀想になってしまう。秘書に関する描写を見ていると、極々短時間のエピソードの積み重ねでキャラクターを魅力的に仕立てていく手腕に惚れ惚れする。
人々が凶弾に倒れ、死んでいく瞬間の切れ味は毎度毎度関心させられてしまう。10年後のフリッツ・ラング「死刑執行人もまた死す」でも同様の描写が見られる、一列に並んだ影が銃撃音と共に倒れていくシーンが白眉。ボウリング場の殺しのシーンでは一本のピンが回転しながら倒れる様に断末魔を象徴させる。冷静沈着でニヒルな表情を崩さないリナルドは最後の最後にコインを取り落とす。人物の死をサクッと処理しつつも同時に余韻も残す演出に感嘆。
本作の人が死ぬシーンには、様々な仕方で×印が象徴的に登場することは有名だが、今回見直してトニーの口笛も相当効果的であることを思い知った。冒頭の素晴らしい長回しのシーンで観客に口笛を印象付け、それ以降の口笛は登場人物の逃れ得ない死の運命を知らせる音として不気味に鳴り響くことになる。ロヴォとの緊迫した会話の中で、彼の運命が決まった瞬間を観客に悟らせ、トニーがリナルドの家の前に(彼とは知らず)訪れた時点で、もう殺害の決意が固まってしまっていることを的確に示す。それ故にリナルドが拳銃を手にするか一瞬迷った末に丸腰で応対したことにも意味が出てくる。
ラストシークエンスの締めも文句なし。あれだけ執着していたポピーの声がトニーに全く届かなくなることで、彼が最も愛情を注いでいたのは妹であったことが明白になる。前半で散々自信たっぷりの表情を観客に印象付けたポール・ムニの輝きが、ラストの情けない表情、ボロ雑巾のように街路に倒れこむ姿を際立たせる。「世界はあなたのもの」のネオンも当然無駄なく回収され皮肉に光り輝く。 「THE END」と共に、オープニングと同様に大きく×印が現れるのだが、作中で幾人ものターゲットの死を象徴的に示していたそれは、遂には自らの結末も指し示すことになるのだ。
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