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ラ・ボエームの留のレビュー・感想・評価

ラ・ボエーム(2008年製作の映画)
1.0
違和感しかない映画化。
音楽が始まる前に色を抜いたモノクロ映像でパリの雑踏を描く。ここがまずチャラいしクサい。あの少年は何?無駄なことすんな!
プッチーニは前奏曲とも言えない一筆、数秒の音楽だけで19世紀初頭のパリに聴衆を連れ去る。幕が上がるのと同時にあの音楽が流れ、聴衆は貧しい芸術家達の部屋にいることを実感するのだ。プッチーニ、大嫌いだけど、こういうとこはさすがだと思う。
だが、この映画、真冬で暖房も、食べるものもない貧しい部屋で、飢えた大人2人が大口開けて元気に歌っちゃうのである。アップで顔を大写しにする。口の中が丸見え。歯医者さんなら虫歯がどこにあるかわかるよ。
これがオペラを映画で作る難しさ。舞台の上のお約束事をリアルに描かれると居心地の悪さでいたたまれない。
舞台で演じてるのを映像化するならほとんど問題はないのだが、映画特有のカットを割って編集でつなぐ話の進め方をすると、流れている音楽を阻害するのである。
それと、これは言っちゃいけないことなのだろうが、ロランド・ビリャソン、顔が濃すぎる。ゲジゲジ眉毛にギョロ目、ミスター・ビーンを鬼顔にしたみたい。この映画ではアップが多用されていて、見たくもない鬼顔が大口開けて歌ってるのを見なければならない。CDで聴くだけならこんな違和感に襲われないだろうに。1幕が終わるとこではロドルフォとミミのベッドシーンまで挿入される。監督、演出家のセンスの無さというかアホなことの証明。
2幕カフェ・モミュスではさらに嫌悪感が増す。このボヘミアン達は金持ちの老人に対して美人局的悪事を働くのだ。労働者vs資本家というような対立ではなく、もっと低劣な若い連中が老いたものをバカにするという下卑た根性。そもそもこいつら労働者じゃありませんから。芸術家でもないよ。社会の寄生虫。
こんなこと《ラ・ボエーム》に感じてしまうとは!
3幕ではロドルフォの気持ちはミミから離れていてよけいに芸術家気取りの下衆どもに虫唾がはしる。作劇上もおかしいよね。でいて終幕ではロドルフォは本当にミミを愛していたなんてことにするんだから。わけが分からない。
《ラ・トラヴィアータ》のヴィオレッタとアルフレードの別れの方がずっと説得力があるし、己の非を悟ったアルフレードが駆けつけた時、ヴィオレッタは肺病で死ぬという、実に劇的な展開に涙を流すわけだ。《ラ・ボエーム》は泣かせるためにミミはロドルフォに捨てられ肺病で死んでいく。
プッチーニの音楽もまさに泣かせのためだけに作られた、実に下品な音楽でしかないことをわからせてくれた映画でした。
カラヤンのオペラ映画《蝶々夫人》も愚劣極まりない酷い映画化だったが、プッチーニの音楽そのものは《ラ・ボエーム》よりずっと真実がある。音楽だけ聴くなら絶対《蝶々夫人》。ちょっと前に見た《トゥーランドット》は音響的には《蝶々夫人》よりずっとゴージャスだが、あざとくて嫌い。
今のとこプッチーニで良かったのは《西部の娘》だけかな?
NHKさん、地上波で流すならもう少しマシなのにしてよ。
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