留

リストマニアの留のレビュー・感想・評価

リストマニア(1975年製作の映画)
3.0
装置、衣装、美術が素晴らしい。

開巻、裸のリストが裸の女の両乳首にキスしてるのだが、メトロノームに合わせて頭を右左に動かす。テンポがアンダンテ→アレグロ→アレグレット→プレストと変わり動作が激しくなっていくというお馬鹿ギャグが映画全体を象徴している。
コンサートシーンの銀の背景、満員の客席、全員ティーンエイジ女子で同じような服装に帽子。彼女達の熱狂ぶりは1960年代のビートルズに熱狂する若者達の先取りだ。
ここでワーグナーの「リエンツィ」のパラフレーズを演奏するのだが、途中に小馬鹿にするように"chopsticks"を挿入する。客席にいるワーグナーが怒り狂う。
リストが主人公だが義理の息子ワーグナーも重要な役回り。で、こんな映画にしちゃうのがすごい。
ベルリオーズ、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、ブラームス、ジョルジュ・サンド達が出てくるパーティも笑える。
ペテルブルクの貴族邸に招かれるがこの邸の美術がすごい。柱が曲がりくねった男根で根元には金のボールが2つ。ここでリストの見る夢が面白い。リストは超巨根なのだ。直径40cm、長さ3m!ただしご丁寧にぼかしが根元から先端にまで入っている。作り物なのに!で、その巨根がギロチンでぶった切られるとこで夢が覚める。
革命家ワーグナーはドレスデンを追われるが完ぺき、ナチのヒットラーまがいの指導者になってユダヤ人を迫害する。
ナチの鉤十字もそこらじゅうに出てくるしリストはそれに反対するように描くのだが、むりやりストーリー化したためか結末が中途半端な印象。
ケン・ラッセルは音楽関係では《マーラー》しか見てないが、ディーリアスを描いた《夏の庭》というTVドラマも面白いらしいし、チャイコフスキーをネタにした《悲愴》も面白そうだ。

二回目

やはり終わり方に疑問あり。

ケン・ラッセルはワーグナーを主題に映画を作るべきだった。ワーグナーを完ぺきナチの権化、ヒットラーさらには吸血鬼、フランケンシュタインの怪物として描いていて、ユダヤ人をエレキギターの連射機銃で殺戮していく。
それを成敗するのがリストとその愛人達と娘コジマ。
そこが弱いのだ。リストは「音楽を使うのはかまわんさ。音楽で何をしたかが問題だ」と言う。
ワーグナーの音楽がナチに政治利用されたことを指しているのだろう。たしかにワーグナー自身もユダヤ人を排撃した。たぶんに当時、大人気のユダヤ人作曲家マイアベーアに対する反感があったのだろうが、それでもワーグナー自身がユダヤ人を殺す描写には疑問が残る。ヒットラーはワーグナーの音楽を扇動に利用した。ワーグナーの音楽に扇動扇情要素はたっぷりあるし、ドイツ至上主義もある。《ローエングリン》《マイスタージンガー》に明らかだ。ワーグナー自身が作詞してるんだから。
だからと言ってワーグナーをヒットラーになぞらえ悪の権化としてリストに!成敗させるのはおかしいよ。ワーグナーとリストは音楽において同じ陣営なんだし。映画としてもワーグナーをやっつけた後で《愛の夢》を歌って終わるなんて情けなさ過ぎる。《愛の夢》なんてワーグナーの一音符の価値もない。
劇中、ラインの黄金を6人の全裸ラインの乙女が守っているが、そこに頭にユダヤの星をつけた大男のアルベリッヒがやってきて、6人とも陵辱し黄金を奪うシーンがある。非常に悪趣味だと思う。
笑える悪趣味とただ顔を顰めるしかない悪趣味が混在しすぎてる。下ネタは笑えるがレイシズムは笑ってすますわけにいかない。
リストがブラームスに向かって「失せろ、ブラームス!奴の音楽なんかない方がいい。マスかき野郎め!」と叫ぶが同感である。ブラームスの音楽は独身初老オヤジのマスターベーションである。
はじめのコンサートで大観衆の女の子達は"Chopsticks!"と叫びリクエストしているのである。「リエンツィ」のメロディとチョップスティックのメロディでの盛り上がり方が歴然と違う。
オリヴァー・リードに煙部屋に閉じ込められた後で、男根柱のある部屋に入ると、ずっと《ボリスゴドゥノフ》の時計の場の音楽が鳴り続ける。
《トーク・トゥ・ハー》先取りの等身大のリストが巨大ヴァギナに潜入するちゃちなシークエンスがあるが、男根ギロチンシークエンスには及ばない。このギロチンシーンは男なら思わず股間を抑えるような恐ろしいシーンである。
最近は視聴後すぐにHDから消去するのだが、もっと見返したい。
ロジャー・ダルトリーの「オルフェウス・ソング」なかなか良いのである。リストに《オルフェウス》という交響詩があったので聞いてみたが、つまらなかった。

ワーグナーが「リチャード」と呼ばれるのはやっぱりやだなぁ。
留