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女の一生の小のレビュー・感想・評価

女の一生(1962年製作の映画)
3.8
角川シネマ新宿で開催の溝口健二・増村保造映画祭─変貌する女たち─にて鑑賞。

愛する男性と、家を守って欲しいという大恩人の頼みのどちらを取るかの選択を迫られた女性の物語。あなたならどちらを選ぶだろうか。

明治38年、日露戦争の旅順陥落の日、両親を失い叔父夫婦に引き取られていた16歳の布引けいは、家を追い出される。しばらく街をさまよっていると、一軒の家から賑やかな歌声が聞こえてきた。けいはその家のレンガ造りの門をくぐってしまう。

その家、堤家は中国との貿易で財を成している戦争成金。女主人のしずは、けいを追い返そうとするが、次男の栄二が連れ戻し、引き取ることになる。

5年後、けいは美しく成長し、栄二とお互い惹かれあう仲になるだけでなく、堤家の家業になくてはならない存在となる。そんなある日、しずは、けいを呼び出し、長男の伸太郎の嫁となり堤家を守るよう、半ば命令する。

しずに激しく抗議した栄二は、家を追い出されることとなり、けいに一緒に中国に行こうと持ち掛ける。愛と恩のはざまで葛藤するけいの決断はいかに…。

(以下、けいの葛藤の結果についての言及ありなので、未見の方はスルーが吉です。)

個人的には、ドラマは愛を選ぶことの方が多いように思うけど、けいは恩を選び、伸太郎と結婚し、家を守ることに決める。けいは栄二に、しずから受けた恩の大きさを強調していたけれど、実は恩を選んだわけではないと思う。けいが選んだものは家なのだ。家と結婚したのだ(伸太郎からそう言われていたかもしれない)。

両親を亡くし、叔父の家からも追い出されたけいは、帰る場所のない根無し草。貧乏の辛さを語っていたことから想像すると、帰る場所がないことは彼女にとって大きなトラウマとなっているのだろうと思う。とのトラウマを癒すことができるのは、栄二の愛ではなく、帰る場所なのだ。

堤家にとってけいは所詮他人。実家から勘当された栄二と一緒にいても、いざというときに帰る場所はない。一方で、伸太郎と結婚、即ち堤家に「入籍」すれば堤家はけいの家となり、帰る場所となる。しかも、商才のない夫に代わって、家業はけいが取り仕切る。愛よりも欲しいものが、まさに自分の手の中に…。

しずの頼みは願ったり叶ったり。即答しなかったのは、そういう自分であることを認識する時間が必要なためか、櫛を折るためかのどちらかですな、きっと。

この後の彼女の行動は堤家を守るという目的で一貫していて、どんな状況に陥っても堤家を捨てない。ラストシーンはとても象徴的で、彼女にとって、帰る場所というのがとても重要であることが良くわかる。

しかし、この物語の『女の一生』というタイトルはどうなのかしら。女性は男性よりも帰る場所を強く求める特性があるのかを考えてみたけれど、思いつかなかった。『けいの一生』か『ある女の一生』なら文句なしなのだけれど…。
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