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スパイダーマンのbackpackerのレビュー・感想・評価

スパイダーマン(2002年製作の映画)
3.0
スパイダーマンの映画化には、とんでもない紆余曲折があります。
そもそも、マーヴェルの財務状況悪化に伴う、自社キャラクターの映画化権叩き売りが原因の一端ですが、それについては皆さんご承知と思われますので、割愛します。

当初は、B級映画の帝王ロジャー・コーマンが、自身のニューワールド・ピクチャーズにて才能を発掘したジェームズ・キャメロンを監督として、映画製作を目指していました。キャメロンは脚本も執筆し、スタン・リーも太鼓判を押していたようです。

しかし、オライオン・ピクチャーズ、キャノン・フィルムズ、カロルコ・ピクチャーズ、コロンビア・ピクチャーズ、20世紀フォックス等、幾つもの映画会社を巻き込んで、映画化権等に係る訴訟が展開した結果、キャメロン版は立ち消えとなります。

立ち消えとなったキャメロン版の脚本等は、MGMの手に渡ります。しかし、MGMの有する映画化権を巡って、コロンビア・ピクチャーズとの間で更なる映画化権争いが起こります。(その争いは『007』シリーズの権利をも巻き込んだものへと発展します。)
権利委譲によりひとまずこの争いに決着を見た両社、それにも関わらず、スパイダーマンの映画化企画の進行は、その後プッツリと途絶えてしまいます。

暫くして、漸くコロンビア・ピクチャーズを傘下におさめるソニー・ピクチャーズ・エンターテイメントにより映画化されました。
それが、サム・ライミ監督版の本作『スパイダーマン』です。


ソニーとマーヴェルの映画化権契約は、
①マーヴェルがソニーに1,000万ドルで映画化権を与える、
②マーヴェルは、ソニー傘下のコロンビア・ピクチャーズ制作のスパイダーマン映画の収益から、5%を得る、
というものです。
この契約が、後にマーヴェルとソニーとの対立及び暗闘の原因となりますが、まぁ、そこは放っときましょう。


ホラー映画の雄サム・ライミ監督は、大のアメコミ好きとして知られ、スパイダーマンは特に大ファンだったと言われています。
そんなライミ監督を抜擢して製作された本作は、撮影中に発生した9.11同時多発テロの影響を受け(ワールド・トレード・センタービルの削除等に膨大な時間をとられ、完成すら危ぶまれます)つつも、2002年に公開され、全世界興行収入8億2,000万ドルという猛烈なスマッシュヒットを叩き出します。


紆余曲折の果てに完成したサム・ライミ版は、以後シリーズ化し、『スパイダーマン3』までに計25億ドルもの興行収入を上げます。
そのため、『スパイダーマン3』以降を描く〈続3部作〉企画を追加した全6作とする構想が進行していました。
しかし、残念なことに、ライミ監督は『スパイダーマン3』の仕上がりに納得がいっていませんでした。この不満等が原因となり、ライミ版は結局3部作にて幕を下ろします。4作目の脚本等を準備し始めていたにも関わらずです。

この〈続3部作〉計画のご破算により失われた時間が、ソニーを追い詰めます。
なぜなら、ソニーはマーヴェルとの契約で「スパイダーマン映画を一定期間作成しない場合、その権利をマーヴェルに戻さねばならない」としていたためです。
要するに、ソニーはドル箱商品スパイダーマンを自社の物としておくためには、スパイダーマン映画を作り続ける必要があったのです。

その結果、短期間でのシリーズリブートとなる『アメイジング・スパイダーマン』(以下、アメスパ)へと繋がっていくのですが、批評家からもケチョンケチョン、興行収入面でも振るわないという、散々な結果に。当然、アメスパシリーズは、ジャンプ漫画の如く打ち切り。巨額の金を動かして、消えていくことになりました。(私はアメスパ嫌いではないです。特にアメスパ2の終わり方は、スパイダーマン史上屈指の閉幕だと思っています。)


スパイダーマン映画の紆余曲折は、今も続いております。
しかし、今までの「ソニーとマーヴェルの権利争いによる暗闘」という形から、「ソニーとマーヴェルの協調」という、新しいステージに進みました。

全ての始まりとなった本作は、スパイダーマン映画史を考える上でも、非常に重要な存在です。
『スパイダーマン:スパイダーバース』のように、「スパイダーマンとはなんぞや?」「『大いなる力には大いなる責任が伴う』とは何のことか?」等の、スパイディ基礎情報を観客が理解している前提の作品が作れたのも、本作から始まった歴史があってこそと言っていいでしょう。

まだ見たことのない人は、是非鑑賞していただきたい作品であり、私のように昔見ていた人でも、異なる視点や知識を仕入れた上で、再度鑑賞していただければ幸いです。
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