マサキシンペイ

グラン・トリノのマサキシンペイのレビュー・感想・評価

グラン・トリノ(2008年製作の映画)
4.1
既に過ぎ去った過去に生き続ける哀しき保守主義者の人生。男として生きるという「美学」がロジックとしてこの映画を支える。

イーストウッド演じるウォルトは朝鮮戦争に生き残りフォードの組立工を務め抜いた、「古い」アメリカ人の典型。
生粋のアメリカ白人以外に対する差別意識バリバリで、常に苦虫を噛み潰したような顔で口を開けば「最近の若いもんは」と文句を垂れる紛うことなき老害クソジジイ。当然のことながら親族とも隣人たちともソリが合わず、妻にも先立たれてからは完全に孤立してしまう。
老い先短い人生に残されたものは、どんなものでも修理できる工具の山と、機械工としての魂と、フォード72年製グラン・トリノのみ。

孤独な男はある日、隣人のモン族の青年タオと接点を持つ。初めのうちは彼を異者として拒絶するウォルトだったが、次第に自身が「保守してきたもの」と、モン族の風習やコミュニティの結束が共鳴していく。

それは、合理化・公正化された現代社会が突き放してきた「美学」である。

美しく生きる。妻への想い、家族の絆、民族の誇り、それらが紡ぐ愛国心。現代においてこの「美学」を保守することは、夢を掴むような「絵空事」なのかもしれない。であるが故に、ウォルトの生き様は映画として「絵」になり、「現」によって挫かれる。
マサキシンペイ

マサキシンペイ