タケオ

マッドボンバーのタケオのレビュー・感想・評価

マッドボンバー(1972年製作の映画)
5.0
 その題名に偽りなし。『マッドボンバー』(72年)は正に'狂気'の傑作だ。ロサンゼルスで立て続けに起こる連続爆破事件を巡り、火花を散らす2人の狂人。捜査のためには超法規的手段も厭わぬ暴力刑事と、歪んだ正義感を持つ爆弾魔。彼らは2人とも、側から見れば完全に壊れた人間だ。
 冒頭、爆弾魔のウィリアム(チャック•コナーズ)が、タバコの空き箱をポイ捨てした通行人の肩を掴む。悪びれる様子もない通行人に対して、「貴様のような豚がいるから街が汚れるんだ」と凄むウィリアム。彼の歪んだ正義感と偏執狂的な性格が過不足なく鑑賞者に示される見事な場面だ。度重なる不幸により社会に絶望したウィリアムは、公共施設をターゲットに次々と爆弾を仕掛けていく。時折インサートされる幸せだった頃の家族との写真、そこに写るウィリアムの笑顔があまりにも切ない。
 連続爆破事件を追う刑事のジェロニモ(ヴィンス•エドワーズ)も、ウィリアムに負けず劣らず危険な男である。捜査のためには、容疑者のこめかみに拳銃を突きつけることすら厭わない。同僚からは「刑事じゃなければ犯罪者になっている」と揶揄されるジェロニモ。己の正義に狂気的なまでに忠実な様は、爆弾魔のウィリアムとほとんど紙一重だ。警察バッジだけが、かろうじて彼を法の内側に留まらせている。
 犯罪や非行を憎むあまり、社会と対峙してしまった2人の男。不正に塗れた腐った社会を受け入れることができない彼らは、どこまでも孤独な存在だ。卑劣な強姦魔にも関わらず妻と幸せな生活を送るジョージ(ネヴィル•ブランド)の存在が、そんな世の不条理を一層際立たせる。
 確かに彼らは、狂気的で壊れた存在なのかもしれない。しかし、本当にそうだろうか?社会の不正や不条理と対峙する彼らと、社会というシステムに疑問を抱くことを忘れた私たち。本作は鋭く問いかける、「真に壊れているのはどちらなのか」と。腐りきった社会をのうのうと受け入れるぐらいなら、壊れた存在でいたほうが遥かにマシだ。今、自分は壊れているのだろうか?『マッドボンバー』に宿る'狂気'は、鑑賞者の'正気'を試すのである。
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