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ミツバチのささやきのsiのネタバレレビュー・内容・結末

ミツバチのささやき(1973年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

超のつく大傑作。星の数が足りない。

冒頭、トラックがやって来て「映画が来た!」と騒ぐ子供。ここだけで泣けて来るが、トラックが横切り、背面が見えると子供がしがみついているショットでは思わず笑ってしまう。小さな村に来る唯一の娯楽が映画であり、当時の映画の価値って今とは比べ物にならないほど高かったんだろう。フィルム缶を映画の缶詰と言うのも微笑ましい。

小さな公民館に次々と椅子を置いてぎゅうぎゅうの満席で観る「フランケンシュタイン」。湖畔で少女が一人で遊んでいると突然フランケンシュタインがやって来る。観客の子供たちが怖がって険しい顔をする中、主人公のアナは真剣に画面を見つめ続ける。映画の中の少女はフランケンシュタインに身じろぎもせず、花を湖に浮かべて遊び、フランケンシュタインにも花を手渡し、二人とも笑顔になる。やがてフランケンシュタインは女の子を誤って殺し、本人も殺されるという展開にアナの頭が追いつかず、姉に理由を聞くが教えてもらえない。

帰宅後、ベッドの中でも、「何で少女は殺されたの?何でフランケンシュタインを殺したの?」と問うアナに、姉は映画の中の話は全部嘘で、フランケンシュタインは生きている、私は見たと嘘をつく。フランケンシュタインは実は精霊だから姿も変わって生き続けると。

翌日、学校の授業で先生はアナに今日はおとなしいね、と言う。アナは映画を観てから確実に変わってしまったことがこの一言で分かる。以前の元気なアナを劇中では見せないというのが素晴らしい。描かずとも分からせるのが巧い。

学校帰り、姉妹は村はずれにポツンと建った井戸のある小屋に行く。怖くて小屋の中に入れないアナ。姉は平気で入ったあと、そっとアナに耳打ちする。そして全く同じ場所にカットが変わると、今度はアナ一人。井戸の底に語りかけ、小屋の中に入り精霊を探すが何もいない。しかし、小屋のそばで大きな靴跡を発見し、フランケンシュタインがいると確信してしまう。前のシーンで姉が精霊がいたと耳打ちしたということがここで確実になる。見事な省略である。

休日に父親と姉妹でキノコ狩り。毒キノコは絶対に取ってはいけないと言い、父親は見つけた毒キノコを無惨に踏みつける。画面には映らないが、アナにとっては殺す必要もないのに殺されたフランケンシュタインのように衝撃であったはずである。

父親の書く日記かエッセイによると、ミツバチの働き蜂は巣の中でとにかくぎゅうぎゅうに集まって働き続け、死ぬ時はそっと外に出て知られぬように死んでいくという。戦時下、兵士は逃げ出そうが何だろうが、野垂れ死ぬか敵に殺されるしかないことを暗示しているのであろう。

姉妹は線路に耳を当てて汽車が来ることを予感して遊ぶ。何かがやって来るということに期待するアナは、予感に放心して動けなくなったのか、自らが精霊になりたかったのか?

ある日、父親の部屋でタイプライターで遊んでいると、別の部屋から姉の叫び声が聞こえて来る。姉は別の部屋でうつ伏せに倒れ、アナがどんなことをしても反応しない。女中を呼びに行っても見つからず、戻って来ると姉はいない。暗がりから変装した姉が脅かし、死んだふりだと分かるが、これがアナに更に死を意識させることになる。

その後、夕暮れに焚き火で遊ぶ姉たちを見つめながらもの思いに耽るアナ。死と精霊について考え続けるアナは夜中に一人で外に出て森を彷徨うが、精霊には出会えない。

しかし、やがて村を横切る汽車からは一人の男が車外に飛び降り、あの井戸のある小屋へ向かう。

アナが再び小屋を訪れると知らない男に出会う。拳銃を持った男は子供と気付いて安心する。そしてアナは全く恐れることなく林檎を差し出す。ようやく出会えた精霊なのだから。その後もアナは再び訪れ、寒さしのぎに父親のコートを渡す。そしてアナは男のほどけた靴紐を結んであげる。何という健気な行動であろうか。男はポケットに懐中時計があることに気付き、何気なく開いて音楽が流れる。男は時計の蓋を閉じ、掌から時計を消す手品を見せる。二人で笑顔になった直後、シーン変わって夜の小屋に響く銃声と瞬く光。アナがようやく出会えた精霊は当然ながら生身の人間であり無惨にも殺されてしまう。この余韻の無さと殺しの間接表現が現実の重さを否応なく突きつけて来る。

父親が警察に向かい、死体は知り合いかと聞かれ、違うと首を振る。保安官は懐中時計を見せる。父親は子供に疑いを持ち、食事前にはしゃぐ子供たちの眼前でおもむろに時計を取り出して開く。音楽が鳴り響くと、姉は全く動揺する様子がないが、アナだけがスープ皿で顔を隠すようなしぐさを見せることから父親はアナが関係していると確信する。この演出ありきで音楽が鳴る懐中時計が使われているのだろう。一切の台詞説明がないまま、養蜂場、小屋での手品シーンを経たこの時計の活かし方は巧すぎる。

昨夜のことを知らないアナはいつものように井戸のある小屋に行き、男が消え、血の跡だけが残されていることを見つけてしまう。そこに父親が現れ、アナは逃げ出してしまう。モノクロ映画のフランケンシュタインを殺した人々と父親が重なり怖くなったのであろう。

村人総出でアナを捜索する中、アナは森で毒キノコを見つけ、そこで疲れ果ててしまう。湖のそばに迷い込む夢を見て、月明かりに湖を見つめるとアナの顔がフランケンシュタインの顔に変わる…。

アナは井戸のある小屋にそっくりな廃墟で倒れているところを発見され、無事に家に帰る。母親に医者がこんな事件も子供なら忘れてしまうから大丈夫だと言う。

ラスト、夜の窓に月明かりが差し込む中、アナは起き上がって窓に向かう。汽車の来る音が聴こえ、精霊がやって来たと予感したアナは、「私はアナです、私はアナです」と語りかけて幕切れ。姉の話では、精霊は死なずに姿を変えて生き続けるのだから。忘れる訳がない。殺された者たちは殺されておらず精霊として姿を変えて生き延びることこそがアナにとっての死という概念なんである。大人の常識に囚われない子供の願いに涙が止まらなかった。

美しい映像美だけではなく、緻密かつ全く無駄のない脚本で子供の死への畏怖とそれを凌駕する出逢いへの憧れが的確に描かれる。子供がただただ精霊に惹かれることに理由付けなどせず、単純に子供の行動を見せられるだけなのにとんでもなく惹きつけられる。こういう感覚になれる映画は、相米の「お引越し」くらいしか思いつかない。どちらも本当に素晴らしい。

なお、並行して描かれる母親のエピソードについては、望んだ結婚ではなかったため、父親とも子供からも距離があったのだと思われる。いけないことと思いつつ、戦地にいる本当に好きな男に手紙を出していたが、アナが行方不明になったことをきっかけに子供と真剣に向き合うことを覚悟し、手紙を燃やしたと思われる。
序盤、母親が自転車で駅に向かい、汽車到着するや否や、立ち込める蒸気に躊躇なく入り、備え付けポストに手紙を入れるという1ショットは余りにも美しく、忘れられない。

今回、中洲大洋の午前10時の映画祭で本作を観たが、これを一番大きいスクリーンの大洋1で上映してくれて本当に有り難かった。何回か観ているが、大洋1は画面も大きく音も最高に良いので初めて本当の良さを理解出来たように思える。そりゃ数本しか撮っていないビクトルエリセが神格化されるのも当然。こんなに説明に頼らず、その上子供映画で自らが描きたいことを無駄無く表現出来る監督は他にいない。ようやく新作も出来たみたいだし、待ち遠しい限りである。
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