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男はつらいよのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

男はつらいよ(1969年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

かつて日本の正月とお盆に欠かせない映画が「男はつらいよ」でした。
マンネリのストーリーの上で、繰り広げられる寅次郎の恋と笑いは、新年とお盆を喜びの内に迎える国民行事として定着していた…。

昭和生まれの人間には、寅さんをどこで誰と見たかに、思い出があると思います。
私は東北の田舎町育ちなので、寅さんは巡回映画として子どもの頃からよく見てました。
都市部での公開が終わるころ、町の公民館や体育館で数日の期間限定で良く上映されていたんです。
もちろん、同時上映つき。(子ども向けアニメだったり、「トラック野郎」だったり。)
農閑期の日曜日となると、ご近所揃って、ゴザを敷いた体育館で弁当を食べながら家族で見に行ったなぁ…。
(そんな思い出があるの私だけ?)

自分が子どもだった70年代から80年代中頃にかけては、シリーズをたくさん見ていました。
浅丘ルリ子、吉永小百合、大原麗子、松坂慶子…etc。綺麗でしたねー。
美しいヒロインに惚れて、いい線まで行くのに、結局はフラれる。
ある意味、モテない男子の希望の星でもありました。

私にとって「男はつらいよ」はスクリーンで見るものでした。
青年期は、劇場にも見に行きました。
今のシネコンの倍以上はある広さの劇場が、正月期は満員御礼でしたね。

今年の正月映画で復活すると知り、恥ずかしながら初めて!第一作を、そして初めて「男はつらいよ」をTV画面で見ました。

いやぁー!お馴染みのメンバーがみんな若い!(当たり前ですね)
新鮮ですが、懐かしい!

1969年に公開された渥美清主演の人気シリーズ第一弾。
山田洋次監督が手がける全48作にも渡る大長編(97年の特別編を除く)。
国民的スター渥美清が亡くなってしまったため48作で終わってしまいましたが、もっと続いていてもおかしくなかった「昭和」の名作。

その後の寅さんシリーズに現れる色んな演出の原点がここにありました。

フーテン生活を続けた寅が柴又に戻り、妹のさくらと久々の再会を果たし、更にはヒロインと自分ではない誰かを結びつけるという、この後のシリーズの枠組みが、この第一作目にすでにある。

元々はこういう意味合いだったのかと色々な発見が面白かったです。

例えば、ふらっと帰ってくる寅さんが1年程度の間隔ではなく、なんと20年ぶり❗️妹のさくらは、寅さんの顔さえ覚えていない。

さくらのお見合いの場では、酔っ払って下品なことを言って台無しにする駄目な兄の寅さん。

反省しろよ、マトモになれよと、おいちゃんに言われれば、「うるせぇ、こん畜生!」と大喧嘩。

ふらふらと渡り歩く風来坊の自分は、御前様の優しい娘に惚れてるくせに、妹を取られるのが嫌で、地に足のついた暮らしをしている博のさくらに対する恋心を応援したりはしない。

喧嘩っ早くて、身勝手で、わがままで、意地っ張りで、しかもお節介だ。

しかし、なぜか憎めない❗️
記念すべき第一作ですが、すでに完成されている寅さんのキャラクターを中心に語らせてください。

おそらく現代の感覚で言えば、寅さんは相当な厄介者でしょうね。

過剰な忖度を押し付けられ、コンプライアンスでがんじがらめの現在の世の中では、寅さんは決して友達になりたくないトラブルメーカーに見えるでしょう。

では「昭和」の時代において、なぜ、寅さんが憎めないキャラクターなのか?

それは寅さんの根っこが「感受性の高い、お人好し」だからです。

携帯もメールもない「昭和」の時代、
人は思ったことを、紆余曲折がありながらも、直接人に想いを伝えるしかなかった。
そして行動するしかなかった。

そんな他人の想い(真剣な恋)に、寅さんはまるで子どものように感動する。
お節介なもんだから、俺がなんとかしてやろうと、よせばいいのに世話を焼く。

寅さんは、博がさくらを真剣に想っていることに本当は感動している。
しかし、結婚後に苦労などして欲しくないから、さくらには博が相手でははなく、「玉の輿」に乗って欲しいと思っている。

生真面目な博が、何とか傷付かずに諦めてくれるよう「他の女を口説けよ」とばかりに恋愛指南を買って出たり、「妹の気持ちを確かめてやるよ」としゃしゃり出る。

寅さんは、本当は誰も傷つけたくはないのです。
しかし、照れ屋で、不器用で、学がないものだから、なかなか上手くいかない。

博が恋に破れたと勘違いし、柴又を去ろうとする。
タコ社長が博が居ないと困ると嘆く。
自分のしたことで周りに迷惑が掛かったことに一瞬オロオロする寅さんの表情が笑える。

自分の想いすら、御前様の娘にストレートに伝えることが出来ない。
寅さんが、御前様の娘の付き人よろしくお供するのは、まるで夏休みが永遠に続いて欲しい子どものよう。

でも婚約者が登場し、御前様の娘が本気で惚れてる視線を目の当たりにすると、所詮は身分違いと身を引く。

「感受性の高い」寅さんは、人の心の揺れ動きを機敏に察知するのです。
そして寅さんの行動原理は他人のためであるからして、相当な「お人好し」なのです。

でもカッコつけたいし、意地っ張りなもんだから、強がってみせるし、喧嘩もする。

今の世は喧嘩することすら避ける、または許されない風潮がないでしょうか?
寅さんのように喜怒哀楽を剥き出しにして、本音でぶつかる人間にあまりお目にかからない。

詰まるところ、物語は「不良の兄帰る」なのです。

昭和の時代、そんな男性が沢山いました。
高度成長期、家徳の長男以外は家業を継がずに集団就職や出稼ぎで家を出た。

かく言う昭和40年代生まれの私も、そんな一人です。
若い頃は実家に帰るたびに、仕事は順調か?早く身を固めろ!と上から目線で親が言う度に良く喧嘩したもんです。
それが親の心配だと気付いたのは、自分が親になってから…。

寅さんは親と大げんかして飛び出したことを、今更悔いてネクタイ締めて帰ってきたのに、やっぱり不良のままで皆に迷惑をかけてしまう自分に気づいて、淡い恋にさえ見放されて、再び旅へ出る。

以降、この映画シリーズは幸福な葛飾柴又「くるまや」一家と、そこをかき乱す寅次郎が描かれる。

可哀想だが、寅さんは永遠に幸福に至る事はないのが、この第一作から決定付けられていること。

寅さんは平和と安寧を壊す「トリックスター」として混乱を生み、笑いを作る存在なのです。

寅さんは「永遠のバカ息子」なのです。
だからこそ、家族という共同体に愛される映画シリーズだった。

日本の正月とお盆に欠かせない映画となったのは家族が集まり、水よりも濃い血の繋がりを再認識する季節だったからだ、
…と今にして思います。

時代が進み、家族の繋がりが薄れ、徐々にシリーズが、世間的に受け入れられやすい脚本と演出になっていくのがやはり哀しい。

私も、さくらの息子の満男がほぼ主役と化し、寅さんが擬似の父親となる渥美清晩年のシリーズは見る気がしなかった。
寅さんが「永遠のバカ息子」ではなくなってしまったのを肌で感じていたせいでしょう。

第一作での一番の驚きは、さくらがいきなり博と結婚を決め、ラストには満男まで生まれていること。

博が「好きな人のお兄さんに、大学出じゃないと結婚させないといわれたらどうしますか?」というのは昭和の世相を思い出し、心に響きました。
愛さえあれば良いのよ…とばかりに、さくらは博の後を追い、結婚を決める。
いい女じゃありませんか❗️

主題歌にある「お嫁にゃいけぬ」というのは第一作の途中までしか使えなかったのかということを初めて知りました。笑。

渥美清演じる寅次郎=寅さんが人々に愛されるキャラクターだというのは、この一本で十分に理解できます。

とにかく話し上手なただの調子のいい男かと思いきや、情に厚かったり、人のことを言えない恋の不器用さだったり、思わぬ時に見せる常識人っぷりと様々な顔を見せてくれる。
渥美清の名演です。

そんなコロコロ様子の変わる寅さんが周りのみんなにお節介を焼くパターンから話が進んでいくので、決まったオチがないところが楽しい。

公開当時、日本経済は右肩上がりに国民総生産を伸長し、昨日より今日、今日より明日が幸福であると日本国民が信じていた時代でした。

その幸福を体現していたのが「くるまや」の人々だったのです。
つまり我々の庶民家庭の代表。

寅さんとは、そんな日本全体の幸福を享受し得ないフーテンというアウトローの存在であり、結局は身分違いな恋だと、決して自ら幸福に成ろうとしない者なのですね。

寅さんは常に自らの幸福を放棄して、他者の幸福に尽くす。
そして幸福に近づくと、必ず幸福をかき乱す存在でもある。
しかし、結果的に他者に幸福を与える者となる。

自分は幸せになれないお節介な恋のキューピッドであり、永遠のバカ息子。

それが寅さんが「いい人」の正体であり、愛された理由だと、しみじみと思いましたね。


追記。
さて、今年のお正月に「男はつらいよ」が復活するといいます。
劇場で見たいのだが、正直怖いです。
脚本や演出が時代に迎合し過ぎて、ガッカリしないか?と。
今のところ、前情報を意図的に見ないようにしています。

家族の繋がりや生のコミュニケーションが薄れつつある現代で、「永遠のバカ息子」寅さんは、今の「ゆとり世代」「悟り世代」(もう、この表現は古いですか?)の若者に、どう映るのでしょう?
やはり厄介者に映るでしょうか?

とても心配しています。
評判がよろしくないなら、やはり寅さんは「昭和」の美しい思い出としておこうかなと…。

そして、自分が歳をとったせいか、一番泣けたのは、寅さんの失恋ではなく、さくらと博の結婚式での博の父親役、志村喬のスピーチでした。

音信不通だった息子に8年ぶりに結婚式で再会し、褒められた親ではないと自省する姿。
息子を逞しく育ててくれた柴又の人々への感謝。
自分も今や親なので、間違いだらけの子育てだったと反省しきり。共感のあまり泣けました。

だって直前まで笑わせてくれるんですもの。
結婚式の司会者も、タコ社長も、この博の父親の名前が読めなくて「諏訪ン一郎」とごまかしていたんですから。

漢字では「諏訪飈一郎」と書いてある。
調べてみたら飈一郎は「ひょういちろう」 と読むらしい。

当然、歳からいって戦前生まれの設定。
人名に使う漢字に制限はなかった時代のこととはいえ、山田監督、随分難しい名前をつけたものです。

難しい旧漢字の名前の方って、昔はよくいましたよね。
現代は漢字は簡単だが、読み方が違うキラキラネームが多い。

そんなところにも「昭和」を感じました。
yoshi

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