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第5惑星のsleepyのネタバレレビュー・内容・結末

第5惑星(1985年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

対立は無知から生まれる

近未来、地球は恒星間飛行に成功し、資源を求めてドラコン星人と交戦状態にある。ダビッジ(クエイド)は敵の戦闘機とともにある惑星に不時着。誰も居ないその辺境の惑星でドラコン人のジェリバ(ゴセット)と邂逅し、苛酷な自然環境の中、協力してサバイバルするがやがて・・。

言葉が通じず、見た目も大きく異なる(互いに「醜い」と言い合う)2人が理解し合う、コミュニケーションの寓話と言える。(表面上)あらゆる点で異なる(現実世界ではこれは思い込みであり誤解であることが多いが)種族間はどのように分かりあっていくのか。クエイドは今までドラコン人を見たことがないという。無知・コミュニケーション不全・未経験から対立は生まれる。「異人」であることを認識しつつ、本質においてなんら異質なものでないことを観客は教えられる。

本作の2人がお互いの両親・家系の話を聞かせ合うところ、復唱をするところはテーマとしても作劇としても重要で胸に響くものがある。これは何も個よりも血が大事ということではなく、理解、少なくとも尊重する心の姿勢の在り方の問題。

同名の原作(バリー・ロングイヤー、79年)がある。本映画は67年のジョン・ブアマン監督の傑作「太平洋の地獄」(Hell in the Pacific、リー・マーヴィン、三船敏郎の2人しか登場しない)のSF版ともいえる(製作側は明言していないが)。太平洋戦争時、孤島に流された日本兵とアメリカ兵2人の邂逅。時系列で言えばおそらく「太平洋の地獄」がロングイヤーの念頭にあっただろう。「太平洋の地獄」と本作は基本設定・要素は類似するが展開や結論は大きく異なる。未見の方は是非。

以下★まである点に触れているので未見の方はスルーしてください。ドラコン人は雌雄同体であり、みな自己懐胎・出産する。クエイドはゴセットJr. の子を取り上げ、1人で養育する。この子が、「自分は醜い、指が三本しかない」という。製作者側が当時に意識していたかは判然としないが、肉体的な傷やハンディキャップを負った者、およびいわゆるLGBT・ジェンダーにつきまとう現代的課題に図らずも触れている点も見逃せない。★
そしていずれ来るかも知れない環境大異変時に異文化はどうあるべきか。ある環境では利害は一致せざるをえない。それは生き残ること。個人を深く知ればその者が属する集団を憎み切ることは難しい。

ただところどころ作劇が乱暴・粗い点がある点がやや惜しい。前述の鉱山での短いバトルシーンもいかにも聖林的で・・。鉱山の地球人の描写がステレオタイプな勧善懲悪なのも気になる。しかし2人の演技は良く、特にゴセットJr. が(素顔を出していないにも関わらず)素晴らしい。
作り手の真摯さが伝わり、観る者の心へ踏み込んでくる映画。やや、テーマ偏重であり、感動誘導の狙いが垣間見え、もう少し押さえていれば1歩上質になったと思う。しかし志の高い映画であり、ちゃんと響くシーンがあり、観客はみな同じある思いを抱くと思う。

★オリジナルデータ:
Enemy Mine, US=西ドイツ, 1985, 配給20世紀Fox, 108min. カラー、オリジナル・アスペクト比(もちろん劇場上映時比のこと)2.35:1 (anamorphic)、Super 35, Dolby、ネガもポジも35mm
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