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アイ・アム・レジェンドのbackpackerのレビュー・感想・評価

アイ・アム・レジェンド(2007年製作の映画)
3.0
『地球最後の男』2度目のリメイク作。

リチャード・マシスンの小説『吸血鬼』を原作として1964年に作られた『地球最後の男』は、世界で最後の一人となった人間の男と、吸血鬼と化した死者の戦いを描き、ジョージ・A・ロメロ監督が『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』の参考にした、モダン・ゾンビジャンルの始祖的作品です。
1971年には、チャールトン・ヘストンを主演に『地球最後の男 オメガマン』として再映画化されました。ディストピア・終末世界SF映画の主演にはうってつけの俳優でしたが、『猿の惑星』『ソイレント・グリーン』と比較すると、有名ではない印象です。

そんなゾンビ物の古典である『地球最後の男』を"再リメイク"。
主演に人気のスター俳優ウィル・スミスを迎え、吸血鬼からゾンビへの設定変更、リアル路線の作劇、NYの街を封鎖した大規模ロケの敢行等、多くの挑戦を行った意欲的かつ現代的なリメイクとなりました。


本作はゾンビ映画ではありますが、クライマックスに価値観の逆転が発生することで、「相手を異分子と断定し排除しようとする」ことに対する警鐘を行う作品でもあります。作中でのゾンビの描き方(以下2点例示)にハッキリと示されてますよね。
○ゾンビ(作中呼称は『ダーク・シーカー』)側にも知能やコミュニティが存在していることが見て取れること。
○ゾンビのコミュニティの和を乱す存在である主人公ネビル(演:ウィル・スミス)を、知恵ある行動によって排除しようと試みる(罠の設置等)。

これは、人間とゾンビの双方が、互いのことを「理解し合えない相手」と認識し、相手を"伝説の怪物"として退治しようとする状況を、〈相互理解の困難さと不理解がもたらす悲劇〉として描いているということです。

異文化・異人種・異言語といった、自分達と異なる存在を排除し、自分達の価値観の押し付けを強引に邁進すれば、どこかで歪みが生じ、結果的に自らに破滅をもたらす。西欧帝国主義、植民地と奴隷貿易、中東での紛争、現代中国の戦狼外交……数多くの社会的課題、その本質は、本作が語る〈相互理解の困難さと不理解がもたらす悲劇〉と通底しています。
そんな問題に対しどう対応していくのか、頭の体操として、考えさせられるものでもあります。


本作のアナザーエンディング版では、ネビルは死亡せず、生存者のコロニーへと向かうことができます。それは、ゾンビ側との和解(休戦?)にやり一時的に難を逃れることができたことによるものです。
個人的には、アナザーエンディングより、劇場公開版の死亡エンドが好きです。というのも、"相互理解"が難しい相手と、そう易々と和解できるのは、あまりにもご都合主義的だと思うからです。現に現実社会は、そう甘くないじゃないですか?
「そこは映画だから」ということでアナザーエンディングになる可能性もあったとは思いますが、スクリーンテストの結果採用されたのは、ある種のバッドエンドである劇場公開版。単に過去作同様主人公絶命エンドを踏襲すべきと判断したのかもしれませんが、なんにせよバッドエンドで良かった〜。

因みに、『藤子・F・不二雄SF短編PERFECT版5巻 メフィスト讃歌』の中にある『流血鬼』という短編は、まさに『地球最後の男』(というか、原作小説『吸血鬼』)を元ネタにした作品です。
登場人物を少年にしたうえで、価値観の逆転を好意的に捉えたオチは大変インパクトがありますので、ご興味ある方は是非読んでみてください。
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