ryosuke

宇宙戦争のryosukeのレビュー・感想・評価

宇宙戦争(2005年製作の映画)
4.9
これは大傑作だな...。IMDBの平均評価とか見てても随分スピルバーグで下の方の評価を受けているようだが、こんなに面白い瞬間だけで構成されている娯楽映画なんて他に「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ぐらいじゃないだろうか。まあオチやらストーリー性やらに不満があるんだろうけど、そんな次元の映画ではないと思うんだよね。
冒頭、もう一つのテーマである親子関係をサラッと示して即本番に入っていくのが嬉しい。トム・クルーズの操作する建設機械は、長い手で何かを摘み上げる巨大な機械として、これからの展開を予告していたのかもしれない。
日常生活はダメダメの親父が、危機的状況ではシャキッとして子を守るみたいな類型かと思いきや、自らの好奇心のために娘(ダコタ・ファニング)の怯えを無視し(「未知との遭遇」でも父親は未知への執着のために家族を蔑ろにしていた)、そうかと思えば家の中に逃げる時は我先に駆け出し娘を庇いもしない。ひたすら恐ろしく強烈な侵略のイメージを叩きつけ続けるための作品でも、しっかり崩壊家庭のテーマは入ってくるのがスピルバーグだな。本作はこのダメ親父の成長物語でもある。
全体を俯瞰する視点、統合的な情報は全く持ち込まれず(例えば政府上層部の会議シーンなどは存在しない)、あくまで何が起きているのか全く把握できない中で、ひたすら逃げ回らなくてはいけない家族の視点を堅持するリアルさが良いなあ。宇宙人についてだけではなく、匿ってくれた男(ティム・ロビンス)についても、攻撃性を秘めた彼が何を企んでいるのか読めない不気味な感じがあるし、何よりトム・クルーズにとっては我が子さえ全く未知の存在なのだ。ピーナッツアレルギーもメダルも子守唄も知らなかったトムが、何でもいいからとにかく愛情を持って歌えば良いのだということが分かった時、彼らの関係にも進展がもたらされる。
異変の導入シーンでは、トムが家を出た瞬間に唐突に何かが始まっている。何気ない生活シーンの中に突如(文字通りの)暗雲が立ち込め、日常世界と異世界が唐突に、なす術もなく、あっさりと接続されてこそだよなあ。
トライポッド出現シーンは上品な見せない演出などではなく、地底から兵器が現れるというシチュエーションの面白さを様々な角度からじっくり見せつけてくれる。取り落とされたビデオカメラに映るトライポッドと人体破壊光線など、流石見せ方が上手い。
そして車体との距離を詰めたり引いたりしながら車の周囲をグルグルと移動していく長回しワンカット!爆走する車内で、長回しの中で早口のダイアログが積み重なり、娘の叫びによって緊張感が高まっていく。テクニカルな撮影により物語に急激な加速感を付与する手腕に痺れる。
本作はスピルバーグ一流の引き延ばしサスペンス演出というよりは、衝撃的なイメージが突如現れることによって衝撃をもたらす演出が多用される。突如フレームインする墜落した飛行機の燃えながら回転するエンジン、幼い娘が川で見てしまう死体の群れ、通過する燃え盛る列車、突然船の下から現れるトライポッド。
車を奪われるシーンでは、人間側の描写としてゾンビ映画の文法も用いられるし、宇宙人にも吸血鬼要素があるんだから欲張りセットという感じだ。
本作の宇宙人は「E.T.」のように指先を合わせる気もなく一方的に触手を伸ばしてくるし、トライポッドの鳴き声には「未知との遭遇」の効果音が流用されているらしいが、「未知〜」のようにコミュニケーションとしての音階を披露する気もない。高台からのロングショットの中で、触手を用いて一人一人人間を「捕食」するトライポッドの画の美しさと絶望感。やっぱりビームで一瞬で殺されるより捕食の方が怖いよね。そして闇夜に降り注ぐ人々の衣服…美しい...。
めちゃくちゃ面白いけどそろそろ強いシーンの連続すぎて疲れてきたなと思ったタイミングでティム・ロビンスの地下住宅への滞在シーンに切り替わり緩急が付く。スピルバーグ、観客の生理感覚把握してるなあ。この家のシーンは、恐怖演出もスピルバーグ流のにじり寄るような引き延ばしサスペンスに移行し転調する。「ジュラシック・パーク」の対ラプトル隠れんぼのような感じ。これも流石。鏡でトライポッドを撃退するエピソードなんて、伸びる触手のイメージもあってかメドゥーサ退治の神話を思わせる。そして、黒澤の「野良犬」のように、シーンの内容と音楽のギャップを生み出す演出も披露されるが、父親が邪魔者を粛清する描写に娘の「子守唄」が重なるって凄惨すぎるでしょ...。
ここでもやはり、冒頭と同じくトム・クルーズが家を出た瞬間に世界は一変している。気色の悪い赤い草。冒頭の息子とのキャッチボールシーンと同じく、割れたガラスの向こうに我が子を見るショットが反復されるが、成長した父親にとって今度はその境界は突き破らなければならない壁になっている。「ジュラシック・パーク」のように車が横転した後、作中、息子やティム・ロビンスの「戦う」という選択を常に押し留めてきたトム・クルーズは、娘を拐われることでついにトライポッドにちっぽけな手榴弾を投げつけることになる。
何が何やら分からぬまま、どうも攻撃は止んだようで、「暗殺の森」オマージュのような舞い散る枯れ葉と足元の移動ショットと共に行われる再会を見ながら、どう収拾をつけるのかと思っていたら...。「シン・ゴジラ」のラストシーン、活動停止したゴジラの尻尾に何かが...というアレってまさか本作が元ネタなのか?誰にも全容が掴めなかった物語の真相は、必然的に神の視点の語り手(モーガン・フリーマン)から示されることになる。
まあこの結末が評判悪いのは仕方ないっちゃ仕方ないという感じはある。原作から取ったセリフとのことだが、「神が創りたもうた」「地球上の生物と共生していく権利」「無駄に終わる人間の生、そして死はないのだから」と「レディ・プレイヤー1」のラストのように最後にスピルバーグの教訓癖が出た感じ。それでもこの非凡な傑作の価値が毀損されることはないと思うけど。
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