ーcoyolyー

おばあちゃんの家のーcoyolyーのレビュー・感想・評価

おばあちゃんの家(2002年製作の映画)
3.6
小津の『お早う』にもどこか通じるような世界観。クソガキがとにかくムカつく、だけど私もこのクソガキみたいなクソガキだったので身につまされる。

母と祖母が折り合いが悪いというより私の母は卑屈なスクールカースト低めの女版インセルみたいな残念な人で、いつも誰かの、とりわけ父方の親戚の愚痴を私をゴミ箱扱いして放り込んでくる困った人だった。そんな私はさ、王様の耳はロバの耳、と叫んでいい井戸でもないんだけど、娘というのはそういうもの、そうやって扱っていいもの、という固定観念により耳を貸さない。

子供というのは親の顔色を伺わなければ生きられない存在なので私は父方の祖母や叔母たちとは母の顔色を伺った結果ちょっと距離を作らなければならないかなと思ってしまって今振り返ると勿体ないことをしていた。

祖父母が亡くなる数年前、初めて一人で祖父母のところへ遊びに行った時に感じた解放感といったらなくてさ。母の傘の下から解き放たれて独自外交を始めたらそこにいるのは可愛らしくて話しやすい人たちだった。母とは同じクラスにいても確実に友達になれないんだけど、この人たちとはそれなりに仲良く付き合えそうだったんだなと初めて気付いた。同じクラスだったら私や祖母や叔母が楽しく話してるのをジトっとした目で見て陰口を叩くのがうちの母。何であの人の顔色をあんなにビクビク伺わなければならなかったのかと馬鹿馬鹿しくなった。私別にハイカーストの人間ではなくてアウトオブカーストなんですけど、アウトオブカーストの人間ってカースト制度に組み込まれてないから徒党を組まない代わりに誰とでもそれなりに話せるんですよね。

おばあちゃんこんなにも可愛らしい人だったって私知らなくてさ、母親のフィルターを通したおばあちゃんの姿しか見せてもらえなかったからさ、うちの母親って常に二言目に「ブスだしデブだし」が来るから女としてのコンプレックスの塊で女子会ができない人なんだけど、おばあちゃんはものすごく女子でさ、もう全然この人と一緒の方が楽でさ、私数十年なんて無駄にしてきたんだろうとおばあちゃんに申し訳なくなったし悲しくなった。亡くなるまでの数年間しか「私とおばあちゃん」という二者関係が結べなくてさ、生まれてからずっとおばあちゃんとはこうやって仲良くしたかったというのがとっても悔やまれて、間に入って仲を引き裂いたコンプレックスの塊が憎くなってさ。いちいちあの調子で愚痴をこぼされるのが嫌で嫌で、でも本人何が悪いのか理解してないからもう関われないなと限界を迎えた。

ああいうことすると大人になった娘に縁切られるから縁切られたくないならやめた方がいいよ。

あのクソガキ腹立つけどさ、東北の道の奥の道の奥、世界のどん詰まりみたいなところにああやって置き去りにされたら私もああなるのは容易に想像つくので、あの子供の頃に感じた世界の果てみたいな景色と自分のおばあちゃんに対する態度がこうやって蘇ってこられるとちょっと感情処理に困るところはあります。でもおばあちゃんが亡くなる前に母親の認知の歪みフィルターが外れて自分の眼でおばあちゃんの姿を捉え直すことができたのはギリギリ良かったことだとも思ってます。あのままの思い込みでおばあちゃんのことを捉えてたらほんと浮かばれなかった。
ーcoyolyー

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