140字プロレス鶴見辰吾ジラ

ファイト・クラブの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

ファイト・クラブ(1999年製作の映画)
4.8
【遊戯王】

遂にフィルマークスにて
映画1000レビュー到達!
つまりこのアプリで
1000本の映画のために
時間を浪費し
予告編に操られ
金を垂れ流し
成れるハズない
ヒーローに憧れ
クソみたいな消費をした 
逃げようのない証明だ。

「ダークナイト」のジョーカー、「タクシードライバー」のトラビス、そして「ファイトクラブ」のタイラー・ダーデン!自分もそんな風に内なるMADをいつか解放できると映画に時間と金を浪費し躍らされてるって訳だ!

昔、いじめられっ子だったときいじめてきたサッカー部のクソ野郎と教室で喧嘩した。愚かな行為だがアドレナリンが自分を自由にしてた。床に後頭部から落とされても気持ちが良かった。時間は浪費したが、あのときの感情はホンモノだ。時は過ぎて社会人。営業所にジャンボ機が墜落すれば何もかも縛られた日が終わりを迎えるといつだって願っている。それなのにストレスの捌け口は映画館で金を撒き散らすこと。ホップコーンにコーラにチーズドック。しかしこの想いは真実って訳だ!

中学生のときにテレビでやってた「ファイトクラブ」を見たが、ガキにはよく分からなかった。だからまた再戦を挑んだ。用意周到な伏線と画面を掠めるサブリミナル。頭ん中のトモダチと過ごす青春と肥大化していくエゴ。暴走する自我の果てに消費社会を物理的に崩壊させる野望。頭の中の天使と悪魔。ぼくの脳髄とタイラー・ダーデン。

あるとき画面が揺れてフィルムの端が虚構を破ってこちら側に訴えかける。それがこの映画の真実だ。この映画を賛美してるだけじゃ消費と物欲の奴隷に過ぎない。最後に倒壊するビルのシーンに映り込むデカマラにタイラーの悪戯に翻弄された自分自身が「ぼくの脳髄」だったと打ちのめされる。

なんて鮮やかなパンチだ!
あまりに鮮烈な一撃だ!
文句なしのノックアウト!

センセーショナルな映画体験だった。虚構に騙され、現実にも騙されたと悟って終わる本作の憧れのマッチョイズムは人を虜にする劇薬だ。そして眠れぬ街への宗教だ。「書を捨てて街に出よ。」甘いぜ!「物欲を捨てて拳を握れ!」だ。1999年、まだ世界貿易センタービルが聳え立っていたこの時代に、自らのそそり立つイチモツを最後に見せつけるなんて夢であり悪魔のような映画だ。オールタイムベストだが人には言わない!「ファイトクラブのルールその1」を忘れるな!「ファイトクラブのことを口外しない。」だ。

虚構のブラピと現実のエドワード・ノートン。涙を吐き出すデトックス効果に逃げずに痛みを受け入れたラストの選択で、破綻した人格が弱肉強食でひとつになりそして想いを寄せる女性と崩壊の絵画を見るシーンが素敵に思えるのは、誰もがこのゲームのプレイヤーワンである名を名乗らぬエドワード・ノートンだからかもしれない。