yoshi

ハイテンションのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

ハイテンション(2003年製作の映画)
3.7

このレビューはネタバレを含みます

B級映画に愛の手を。

驚くほど直球な残酷表現による恐怖。
そして見事な伏線とその回収の構成。
正に掘り出しモノを見た気分だ。
久々にホラー映画に、驚くほどグイグイ引き込まれた。
初見だが「面白いな!コレ」と膝を叩いた。

私にとっては、90年代にすっかりマンネリ化していたスプラッターホラーは、もう興味を失っていた分野だったが、まだ探せばドキドキする映画的興奮を得られるかもしれない。

映画というものは各国でお国柄が出る。
特にホラー映画はそれが現れやすい。
何を恐れ、どう対応するか、恐怖そのものの捉え方、文化に違いがあるからだろう。

さすがフランス。
愛(エロ)と死(暴力)に関しては、とことん徹底的である。

お話は、平和な家庭が突然殺人鬼に襲われるというシンプルなもの。
ホラーはシンプルなほど面白い。
一夜の悪夢、事件の顛末をとことん追う。

女子大生のマリー(セシル・ドゥ・フランス)は、郊外にある親友のアレックス(マイウェン)の実家に滞在して、試験勉強をする予定だった。

(四方をトウモロコシ畑に囲まれ、簡単に助けを呼べない状況。トウモロコシはスティーブン・キングへのオマージュか?)

ところが到着したその晩、一人の男がドアをノックする。

不気味な中年男の殺人鬼(フィリップ・ナオン)が現れ、唐突に家族を惨殺し始める。
顔の見えないツナギを着たこの男は、出迎えた父親をまずはカミソリで切りつけ、首を折って殺害。

いち早く男の侵入に気づいたマリーは、親友アレックスの身を心配しつつも、別の部屋にいる彼女へ知らせることもできず、ひとり物陰に隠れて息を潜める。

その後、男は2階に上がり、友人のアレックスを凌辱しようと縛り上げ、小さな弟をとうもろこし畑にて猟銃で撃ち殺す。

(男の目的は何か?切断した女性の生首でのフェラという登場のインパクトからして、金銭強奪ではない。)

助けを呼ぼうと電話を探していたマリーは、男の接近に、あわててベッドの下に隠れ、難を逃れる。

しかし、その後ベッドからクローゼットの中へ隠れる場所を移動した際に目の前で母親が首を刃物で切られ、殺される。

このクローゼットに飛び散る血がなんとも残酷。見ている人間と殺される人間の目と目が合う。そして目を見開いたままドス黒い血に塗れて死す母親。

(母親の死に様は、イタリアンホラーのジャンル「ジャーロ」を思い起こさせる。)

マリーはなんとかアレックスを助けようとするが、すでに男によって電話線は切断されていた。(計画的犯行?用意周到?手慣れている?危険察知能力が高い?)

マリーは助けを呼ぶこともできず、大した武器も家にはない。

男に車に入れられたアレックスを追い、拘束を解こうとするが、そのまま車は発進。マリーは抜け出すタイミングを伺う。

(男の車の中には女性の切り抜かれた写真が貼ってある。これまで拉致した人なのか、殺した人なのか。
かなりの数であり、男がいかに残虐な相手であることがわかる。)

途中、立ち寄った給油所。千載一遇のチャンスが巡ってくる。
マリーは車から抜け出し、GSの店員のいる売店に助けを求める。

警察を呼んでと言われ、面食らう店員。
給油を終えた男が近づいてくる。
GSの店員と男は知り合いのようで挨拶を交わす。
その中で男が言っていた言葉。
「町から来た金持ち女どもに興奮させられないか?」に引く店員。

いつもと挙動が違うGS店員に不信がる男は、商品の斧でGS店員を殺害。

(GS店員が何に気づいたのか、確証のないまま、疑わしきを罰するこの男の残虐性が半端ない。)

男がGSを出て行き、やっと警察に電話できたマリー。
しかし地理感も全くなく、自分の居場所もトラックの特徴も言えず、大事なことは何も伝わらない。
役に立たない地元警察の対応に苛立つマリー。

マリーは自分でアレックスを助けることを決意する。
殺されたGS店員の銃と車で男のトラックを追跡するマリー。

やがて人里離れた道に入り込むトラック。
マリーの追跡は気づかれていた。
持っていた店員の銃は弾が抜かれており、トラックに背後を取られてしまう。

ついに追い詰められるマリー。
男に攻撃を受け殺されそうになる寸でのところで相手を石で撲殺する。

(普通のホラーなら、ここで一件落着。
この後が続いたとしても、せいぜい「まだアイツは生きている」と悪い後味を残すかとか「全部夢でした」と夢オチにするかですが…)

場面は変わってGSに警察が到着。
防犯カメラを確認していて衝撃の事実が。
マリーがGS店員を殺しているシーンが映っているではないか!

夜が明けてアレックスを助け出すマリー。
しかしマリーを怖がるアレックス。

アレックスは包丁を構え、マリーを刺します。

そして先ほど死んだはずの「つなぎの男」が登場。
コンクリートカッター(アスファルトを切るエンジンカッター)をもってマリーを追いかける男。
そして、それを持ったマリーと男が交互に出て来てアレックスを襲う。

男のしゃべり口調が突然「私」になりはじめる…。

来るぞ来るぞと思わせて、なかなかこないショックシーン。
血しぶきは大量なのに、笑いはゼロ。

(スプラッター映画はときにギャグ映画である。
イヤイヤ、こんな状況では死なんだろう。という状況や、イヤイヤ、こんな方法では死なんだろう。というあり得ない死に方がギャグなのだが、この映画はひたすら「それは、痛いなぁ…」と思わせる。)

ガラスが刺さったり、のどを掻っ捌かれたりと、痛さ満点のスプラッターシーン。

「ハイテンション」は、監督の演出力がきわめて高い本物のホラームービーであると言える。

この監督の非凡なところは、いたるところに伏線や大胆なヒントをちりばめながら、観客をうまくある一定の見方へ誘導する(ミスリードする)構成力である。

そしてストーリーテリングのうまさにある。

たとえば、ヒロインのセシル・ドゥ・フランスが、アレックスの家の部屋で、ヘッドホンステレオを聞きながらオナニーにふける場面がある。

この最中に殺人鬼が侵入してくるわけだが、ヘッドホンからの音楽により彼女は殺人鬼に気づかない。

これだけでも、観客にとてつもない恐怖を与える優れた演出なのだが、同時にこの場面には、彼女がレズビアンだと観客に示すという別の意味もある。

そして驚くべきことにこの場面には、さらに見終わった後でなければわからない、重要な別の意味がこめられている。


ーーーココからが本当のネタバレーーー



そう❗️マリーと殺人鬼の男は同一人物だったのである❗️

正確にはツナギの男はマリーが作り上げた偶像(レズビアンの役割のタチの方)。
もしくは多重人格者のうちの一人だといえる。

マリーは精神的な病気を抱えていて、自分がやっていた殺人を、あたかも第三者の男がやっていたかのように感じていたのだ。

冒頭「録音して」の一言からはじまる、この映画のスタートはマリーの物語だったのだ。

つまりこの物語は「マリーが、警察に捕まった後に、自供している内容」なのである。

実際にはツナギの男などいないし、マリーが勝手に一家を襲っているに過ぎない。
この作品の物語は「マリーの妄想」だ。


本作では現実と「マリーの妄想」が入り混じって作られているので、とてもわかりづらい部分があるかもしれないが、いろいろと辻褄が合う。

何故マリーと犯人がつかず離れず行動を共にするのか?

特にマリーが追跡することを知っている男、マリーが銃を持っていることを知っている男(だからあらかじめ弾をからっぽにできた)

すべてマリーの中の男だからこそできる先回りである。

マリーが追い詰められるように見えるくだりは、もし自分がツナギの男でなく、被害者ならば、こういう行動や立ち振る舞いをするだろうという女としての部分だ。

作品中の追い詰められるマリーが、本来のマリーの人格かもしれない。
自分の犯している残虐な行為を止めたいという良心的な人格に見えてくる。

本作であまり殺人鬼の顔が出てこないのも納得できる。

犯人はもう1人の自分だった❗️…そして「もう1人の自分と戦う」という構図は、「ファイト・クラブ」からアイデアを頂いたのだろうが、行動する現実の自分から、視点が離れているのが幽体離脱のようで面白い。

一度は倒したかに見えた残虐な殺人鬼の自分が、愛するアレックスに拒否された途端に復活する❗️

…というより殺人鬼の自分に、完全に支配されてしまう。

「(貴女は)私のものよ…」と何度も呟くマリーには、心から愛し合えるレズビアンの恋人を作ることができず、遂には凶行に及んだ性的マイノリティーの悲しい背景すら読み取れてしまう。

「町から来た金持ち女どもに興奮させられないか?」というセリフはここに響いてくる。

ラストカット、病院のベッドに腰掛けるマリーは「サイコ」のノーマン・ベイツより凶悪だ。

このように、ひとつの場面にいくつかの意味をこめ、一度目はうまく観客をミスリードする手法は、ホラーというよりミステリーやサスペンスのそれだ。

(オチを知っているなら、二度目はまったく違って見えるだろう。)

そしてこの映画の監督は、優れたミステリというものの暗黙のルールを、実に良くわかっている。

「ハイテンション」は、映画が終わってもう一度最初から頭の中で巻き戻してみて、考えれば考えるほど、評価が上がるタイプの優れた映画だ。

トリックのある構成だが、卑怯ではない。
理不尽なのに理不尽じゃない。
非常に考えられた脚本と演出の構成である。

このラストについては賛否両論あるが…。
私が思うに、ラストのドンデン返しがなかったら、この作品はちょっと良くできたB級スプラッター程度に思えたはず。

しかも、この映画のパッケージはマリーがコンクリートカッターを持っている絵。
そして、その後ろには怪しい男の影。
ここらへんも実に遊び心が憎い。

いくら、残酷描写が優れているからといって、それだけの作品であれば、ここまで誉めはしない。

私はいつも製作側の努力を高く評価する。

観客をスプラッターという恐怖で引きつけながらも、鑑賞後はサイコ・サスペンスになるというテーマのすり替えは、脚本の妙であり、この監督がやった事の凄さが良くわかる。

おそらくミステリ好きの人なら、見れば私のいわんとする意味がわかってもらえると思う。

そんなわけで「ハイテンション」は、ホラー映画というよりミステリジャンルを好む人に強くすすめたい一本だ。

むろん、単純にスプラッターとしてみても、たいへんレベルが高く、十分に楽しめる。
大味なハリウッドものとは違って、悪趣味なのに、なぜか品があるフレンチホラーの魅力だ。

映画の舞台同様に深夜に見ることをオススメする。
久々に掘り出しモノと感じた一本だった。
yoshi

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