horahuki

悪魔のような女のhorahukiのレビュー・感想・評価

悪魔のような女(1955年製作の映画)
4.4
悪魔のようになるべからず…

何というかもう単純にクソ面白い!!映画を見た後、一切の不純物のない感情として「もっと映画が見たい!」って純粋に思わせてくれる作品があると思うけど、私にとってはコレがまさにソレ!めちゃくちゃ面白かった👍

Blu-ray付属のリーフレットによれば、ヒッチコックに影響されていたクルーゾーが本作を撮り、逆にヒッチコックが本作に刺激されて『めまい』と『サイコ』を撮ったらしい。巨匠たちの相関関係が面白いね♫

DV、浮気、パワハラ、何でもござれ!そんな家庭でも職場でも嫌われてるクソ夫に嫌気が差した正妻と夫の愛人が共謀して殺害を計画するという内容なのだけど、殺害後に夫の死体が消えてしまい、更には夫の生存を匂わすようなアレコレが起こり、「もしかして生きているのでは?」という不安に苛まれる2人の姿を描く。

クソ夫を殺害した2人が隠蔽しようと計画に沿って動いていくのだけど、クライム映画のオムニバスを見させられてるような、次から次に色んなイレギュラーが数珠繋ぎ的に2人を襲うのがすっごくハラハラする😨しかもカットを割るタイミングを遅らすことで「嫌」を都度都度引き摺らせていくのもまたスリリング。何がどこからどう綻ぶか。そのネタを至る所に散りばめるもんだから、中盤以降の撹乱具合がすごい。

上がるという行為と2人の背後に現れる深く濃い影が大筋(思惑)を語り、泣く者と他2人を引きのカメラで捉え、目配せの後に泣く者に近づくシークエンスが隠された真実を最序盤のうちに暗示する。修道院育ちのクリスティーナにとって、夫の殺害という禁忌を犯すまでに至る心情はそれだけで察することができるし、人が悪魔になるのは神の不在を実感した時であるとの主張も受け取れる。

悪魔になるのは、当然殺害が最たるものであるのだけど、「祈り」という行為は、彼女が両者の間で揺れ動くことの現れであるし、彼女に残された唯一の手段を取らないでいるという消極的選択がもう一つの悪魔ということなのでしょう。

禁忌を犯すことへの拒否感としての涙と「悪魔化」を決定づける夫の一撃。この後のクリスティーナの表情の明らかな変化の迫力が途轍も無く、一度だけアップで緩急をつけることでガラッと空気感が変わってしまい、安易な顔ドアップ連打なんてことをせずとも、バトンを受けた引き気味のカメラだけでビンビンに殺気だった感情が伝わり持続する。更には人間の二面性の間で主導権が移ったことを感じさせる影のみの存在となった彼女が怖さ以上に美しくて震えた。

そしてクライマックスの光と影の逆転演出が彼女のグチャグチャに掻き乱された心的倒錯を語り、光に近づき闇へ逃げるのもまた同様で、その闇が根源たる深淵へと導く。その深淵を描くラスト3分は何も考えずに素直に見てた方が楽しいと思う!ほんとクソ面白かった!!
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