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スリーデイズのyoshiのネタバレレビュー・内容・結末

スリーデイズ(2010年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

犯罪者が自ら脱獄するのではなく、外から他者を脱獄させようという映画は珍しい。
冤罪で投獄された妻を、何とか脱獄させる夫の話だ。
ロマンチックなサスペンスである。

フランス映画「すべて彼女のために」のハリウッドリメイクだが、個人的にはこちらの方が好み。

個人主義のフランスならば「愛こそ全て」の動機と思えるのだが、資本主義で格差社会のアメリカで「愛こそ全て」と謳うなんて、とてもロマンティックに思えるからだ。

そして犯罪大国であり、厳しい警備のアメリカの刑務所から如何にして脱獄させるのか?というのはドラマティックに思える。

主演はかつては肉体派だったラッセル・クロウ。
アカデミー主演男優賞受賞の「ビューティフルマインド」と同じく大学教授役。
役柄がそうなので、アクションを期待してはいけない。
知性を活かして練り上げる緻密な脱獄計画が見所だ。
役作りなのだろうか?クロウの鈍重な肉体で逃亡が成功するのか?ということにもハラハラさせられる。(笑)

大学教授のジョン・ブレナンの妻ララが、ある日突然、上司を殺したとして殺人罪で逮捕され刑期3年を言い渡される。
ジョンは妻の無実を証明するために奔走するが、上告が棄却されると、彼は妻の脱獄を計画する。
妻のララが移送されるまでのわずか3日間に、脱獄のチャンスはたった一度だった…。

前半はひたすら地味で重い。
犯罪を犯した者の家族について描かれる。
周りの人間からは犯罪者の妻を持っていると白い目で迫害されるのは、やはりアメリカというお国柄が似合う。

息子は犯罪者の母親を持っていることで学校でいじめられる。
父親として打ちひしがれるのは、差別が蔓延するアメリカだからこそ説得力があるのだ。
フランス原作では子どもは赤ん坊だったが、成長して迫害を受ける分、主人公の抱える悩みも大きくなる。

どうすることも出来ず、情けなくて弱いジョン。
彼の芯の強さを支えるのは一つ。「妻はやっていない」という思いだけだ。

何がなんでも彼女を救うのだという強い愛情をかけるほどの妻であるかどうかが、本作の1つの重要なポイントなんだが、フランス原作のダイアン・クルーガーが美人妻ぶりを振りまいていたのに対して、リメイクの本作はエリザベス・バンクスというダイアン・クルーガー似の女優を対抗馬に出してきた。

エリザベスも確かに綺麗だけれど、ダイアンの凛々しい美しさには正直負ける。
(原作はダイアンが凛々しすぎて「本当に殺人を犯した?」と思えるくらいだ。)

しかし、夫が妻に惹かれるのは見た目の美しさだけではあるまい。
やはり女性としての知性や品性が問題であり、その点、ポール・ハギス監督は、冒頭でのさりげない台詞と服装で妻の品位や家庭人としての生々しい感情を描いているのはさすが。

重い前半で、その肩代わりとなる唯一の救いは、息子を遊ばせる公園でジョンと知り合いとなるシングルマザーのオリヴィア・ワイルドの美しさ。
「もう妻を忘れて、この女性と新生活を送ればイイのに…。」と下衆な考えを思ったのは、私だけではないはず。

サスペンスにおけるミスディレクションだが、男の弱さにつけ込んだとてもズルい演出と言っていい。(笑)

しかし、ある日、妻のララが刑務所で自殺を図ることからジョンは脱獄の計画を決意する。
そして刑務所でララに言うセリフ、「君の人生を取り戻す」は印象的だ。
ラッセル・クロウが言うものだから、妻を失って復讐に燃える「グラディエーター」なみの意思の強さを想像して身震いする。

ジョンは綿密な計画を立てて、当日の実行を待つ。
後半はケイパーもので見られる計画犯罪のサスペンスが盛り上がりを見せる。
かなり緻密に作り上げられた計画通りに、細部まで丁寧に作られている。
彼の緻密な計画の様子も濃く描いている。
ネットで検索かけたり、YouTubeで勉強したりと、まっさらの犯罪初心者であるジョンを上手く描いている。
脱獄のプロ役であるリーアム・ニーソンに貰う助言が、これが作品のテーマとなっている。
成功の秘訣は「度胸とわずかな幸運」だ。

その言葉通りに「あんた必死すぎるんだよ、そんなんじゃ失敗するよ」と言われ、偽造パスポートを作ろうとして、ボコボコにされたりするのだから。

私が特に良いと思ったシーンは父親(ブライアン・デネヒー)との最後の別れ。
父親がジャケットの中に海外行きのチケットを3枚見つけて、全てを察す。
普段は無口な不器用そうな父親が、今日は珍しくハグして黙って見送る。
逞しい体躯の2人のアメリカ俳優は本当の親子のように見えるのである。

自分の親をも捨てないといけない。
あらゆる犠牲を払わなくてはいけない。
彼の生きたすべてを捨てる覚悟がいることを知る。

脱獄成功させても、いつ警察が自分の家の壁をブチ破って入ってくるか?
アメリカ映画なら、あり得る展開。
ずっとビクビクして生きないといけない。
逃げ続けることが重要であるのは、アメリカの方が切迫感がある。

相当な度胸を持って決意をしたジョン。
そこもちゃんと描く事でラストへの彼の奮闘ぶりがリアルに入ってくる。

そんな彼の奮闘と警察を出し抜いたトリックの数々が秀逸だ。
ここは映画で見てもらいたい。
オリジナルよりポール・ハギス版のほうがひねりがある。
これなら、オリジナルを見る必要はない。

オリジナル版よりも上映時間が30分以上長い分、後半の展開ぶりがサービス精神に満ちている。
すれ違い、行き違いによって観客をハラハラさせ、妻を脱獄させるための手はずも手が込んで慎重になっている。
アクションももちろん派手さが加わる。

後半、まさに最後の怒涛の30分でジュリアンは教師としてのアイデンティティを捨て、妻のために悪の道を突っ走るアウトローと化すのだ。
かつて猪突猛進の肉体派の役柄が多かったラッセル・クロウのキャスティングがここで生きるのである。

ラストシーンは再度ララの捜査が行われているところで終わる。
刑事はララのボタンを落としたという証言を元に現場近くの排水溝を開ける。
何年も前の事件だが、証拠となるララの服のボタンは確かにそこにあった!
しかし、結局刑事は排水溝でボタンを発見できなかった。

ちなみにフランス版の原作では、このラストは存在しない。

フランス版は彼女は本当に犯人かどうか、わからないまま終わるのである。
結局彼にとって妻が犯人かどうかは重要ではなく、「愛こそ全て」というファンタジーなメッセージだが、訴訟社会のアメリカでは「実は無罪でした。」とはっきり教えてくれる。

妻のララは本当は無罪だった。
おそらくポール・ハギス監督はオリジナル作での冤罪かどうか曖昧な結論に納得できなかったのだろうな、と思ってしまう。
そうでなければリメイクする必要がないのだと。
警察の無能さに腹が立つ演出もアメリカらしい。

しかし、ラストカットでは、もうそれはどうでもいい話となる。
すでに海外にいる家族は笑顔を取り戻し、幸せをつかんでいるのだから。

家庭を持つ私は、知らない国で身内も友人も全くいない中で生活していくことを決断できるのだろうか?と考えてしまう。

自分はすべてを捨てて、妻のために犯罪を厭わず、行動を起こせるか?

正直、今の自分には自信はありません…。
出逢って25年の愛する妻よ、ごめんなさい🙇‍♂️。
出逢った頃と比べ、体力も気力も衰えた私の内心はヘタレです。
私がジョンの立場なら、まず仕事と生活の場所を変えて、子どもの安全を確保するでしょう。

夫としての妻への愛情。
父親としての家族への責任。
全てを取り戻すために犯罪すら厭わないなんて、何てロマンチックでドラマチック。
家庭を持つ者として色々と考えさせられました。
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