晴れない空の降らない雨

パンドラの箱の晴れない空の降らない雨のレビュー・感想・評価

パンドラの箱(1929年製作の映画)
3.8
 サイレント時代のパプスト映画をつまむ。本作は『嘆きの天使』とならぶ悪女映画の古典とされている。あちらはディートリヒだが、こちらで主役を張るはアメリカ出身のルイーズ・ブルックス。この映画は、ただ彼女の放つ危険な魅力によって成り立っている。その官能と頽廃の美は白黒画面でも色あせず、時代の経過をものともしないで現前する。
 同時代性は、この男をまどわす悪女や、無力な青年の姿に見てとれる。これらは『カリガリ博士』から『メトロポリス』に至るまで、この時代のドイツ映画に頻繁にみられる男女像である。本作の父-息子関係には精神分析の影響が濃厚だが(この頃パプストはフロイト理論の紹介映画をつくっている)、偉大な父親に反発しながらも勝ち目のない弱々しい青年の姿は『メトロポリス』の主人公そのものである。
 方向喪失におちいった男どもと反比例するかのように、ブルックス演じる悪女ルルは、周囲の人間全員を巻きこみながら無軌道に突き進んでいく。そもそもヒロインが男から男へと渡り歩く半娼婦であるが、映画にはさらに麻薬・賭博・殺人と反社会的な場面が次から次へと現れる。レズビアン描写まで出てきたのにはさすがに驚いた。
 
 しかしこの映画に何か道徳的な意図があるとは思えず、おそらくパプストは、冷笑的なまなざしで、そうした全てをカメラに収めたかっただけに違いない。彼はただ表層に魅了されているのだ。内面を現実に反映させてしまう表現主義の映画群と見比べて、やはりパプスト作品は多くの点で対照的である。端的にいえばリアリズムであり、それは演技からセットにまで及ぶ。彼の映画には象徴の類もないし、多重露光などを用いた非現実のシーンもほとんど登場しない。
 そしてルルことブルックスは、まさしく「表層」でしかない。彼女に人間的な深みはまったくなく、ただ自由気ままに生きている。そんな彼女はパプストにとって、麻薬や賭博などの犯罪行為、そして戦争や炭坑と同等に、映画にふさわしい対象だったのだろう。