朱音

300 <スリーハンドレッド>の朱音のネタバレレビュー・内容・結末

3.5

このレビューはネタバレを含みます

紀元前480年8月、南下を進めるペルシア遠征軍とスパルタを中心とするギリシア連合軍との間で行われたテルモピュライの戦い。
ペルシア軍は100万人以上であるのに対し、ギリシア連合軍はスパルタの重装歩兵300人を中心とするわずか5,000人あまり。圧倒的にペルシア優勢の状況で、ギリシア特有の地の利を活かした戦術によってギリシア連合軍は3日間に渡って敵の進行を食い止め、相手に甚大な被害を負わせる事に成功した。
この史実を元に『シン・シティ』などで知られるフランク・ミラーが大胆に脚色し、グラフィックノベル化。それを映像化したのが本作だ。
生粋のコミック・マニアとして知られるザック・スナイダー監督がメガホンを取った。

その為、主にヴィジュアル面をはじめ史実から外れた、歴史考証よりもよりエンターテインメントな作りになっている。まずスパルタの戦士たちは重装歩兵であるが、本作では鎧を身に纏わずアクターたちの筋骨隆々とした裸体を見せ付ける、いわばスパルタの精神性を体現させた様なヴィジュアルに仕上げている。またヒロイズムの極地を表現する為、ペルシア戦争の背景、テルモピュライに至るまでの他勢力との関係性などことごとくカットし、あたかもスパルタ一国でペルシア帝国と戦ったかのように脚色されている。
他にもペルシア軍の描写はニンジャライクな不死の兵士や、鎖に繋がれた野獣の如く凶暴な奴隷など、ほとんど異形のモンスターとして描かれるほか、神話の異教神を思わせるクセルクセス王の退廃と不道徳を体現したかのような人間離れした容貌、淫猥と麻薬的なハーレム描写など、分かりやすく悪の帝国としてデフォルメされて描かれている。
このデフォルメ描写については、公開当初、イラン政府から非難声明が出されるほど問題視されたそうだ。


ともあれ、この映画のヴィジュアル志向は完璧に機能的だ。そして美しい。
映像も役者もこの上なく仕上がっていて、惚れ惚れする。白兵戦に重きをおいた戦闘であることから剣と槍と弓矢による戦いのシーンは撥ねられた首や手足が飛び、血が噴き出すスプラッター的な描写を多分に含むが、全編に加えられた超高輝度の階調豊かなパレットエフェクトを駆使した抑えた色調のトーン、暗黒時代を象徴する禍々しいデザインによる美術背景、洗練されたシンメトリックな構図など、まるで荘厳でダークな世界観を持つ絵画を観ているかのような独自の美的センスによって画面に惹き付けられる。

また本作のアクションシーンにおいて極めて特徴的なのが「可変速度効果」である。これはひとつのショット内において、被写体の動きがスローモーションからファストモーションにスピードアップしたり、逆にテンポダウンする特殊なカメラワークのことで、本作では撮影当時、これを高解像度の映像演出として成功させる為のデジタル技術がまだ出揃っていなかった事情から、フィルムによる撮影を選択したそうだ。
本作におけるこれらの効果は言うまでもないが、スパルタの先鋭たちの達人的技量を分かりやすく描画する他、バレエのような体技の美しさを余すことなく捉える役割を存分に果たしている。
所謂"チャカチャカドーン"として定着したこの技法は広く後続のアクション映画に取り入れられる事となり、粗製濫造を生んだが、本作ほどその意義が認められる作品は恐らくない。

またアクションシーンにおいて盾を駆使した戦術はスパルタの伝統的な戦法として描かれているが、これが戦闘の多段なフェーズ分けや、視認性の確保といい、映像的にすこぶる機能的だ。

ザック・スナイダーがアクションシーンにおいて意図したのは100万対300の構図ではなく、1対1の×300の演出なのである。キャラクターから適度に距離を取り、一対一の戦いをスローモーションを駆使して描くことでゴチャゴチャした画面構成や、ブレまくるカメラワークという諸問題をうまく回避している。


ただ本作に問題がない訳ではない。
もっと言ってしまうと、本作、アクションシーン以外は面白くない。
例えばこれから始まるペルシア軍との戦いに備え、レオニダス王は信仰を司るエフォロイに祝福をあずかろうとするが、祭事の時季に争いを起こすなとして諌められる。レオニダスが帰った後、ペルシアの使いがエフォロイの下に訪れ金を渡す。エフォロイはクセルクセス王に買収されていたという件だ。
エフォロイの神託には王とて絶対服従しなければならない。だがレオニダスは国と民衆を見捨てる事が出来ない。という葛藤があるわけだが、ここの作劇があまり上手くない。
観客にとってはレオニダスが行動を起こす事によって、却って国と民衆を危険に晒しているかのように見えるからだ。
またレオニダス王率いるスパルタ軍300人が戦いに赴いている最中に、故郷スパルタでは王妃ゴルゴと議員セロンとの間に悶着があるわけだが、戦闘シーンの雄弁さに比べるといかにも陳腐で引き出しが不足しているように感じられ、ストーリー全体のテンポ感を損ねる要因になってしまっている。
セロンがエフォロイ同様ペルシア帝国に懐柔させられているのは何となく察せられるが、二番煎じ的であり、その分かりきった事実を最後まで引っ張るストーリーテリングには首を傾げざるを得ない。

これは元スパルタ出身のエフィアルテスにも言えることだが、とにかく金や女で容易く買収されてしまう様を度々見せられるのは退屈だ。
エフィアルテスに関しては山羊の山道と呼ばれる迂回路を仄めかす事が、後のペルシア軍の優勢、戦いのつまり勝敗を左右する要因に結び付く役割を担ってはいるが、スパルタの精神性を受け継ぎつつも身体的な障害によって戦士として戦い果てることが許されないというキャラクター設定をもう少し活かし、カタルシスを生んでほしかった。


多勢で少数を屈服させようとする侵略主義を否定するために、命を賭して戦いに挑んだスパルタの戦士たちの崇高な魂。を描ききったのはもちろん評価出来る。いわばこれは自由のために悪を蹴散らすといういかにもアメリカナイズされた多くのアクション映画に対するアンチテーゼともいえる。
本作の肝は勝つための戦いではない。
朱音

朱音