kuu

息子の部屋のkuuのレビュー・感想・評価

息子の部屋(2001年製作の映画)
3.9
『息子の部屋』
原題La stanza del figlio.
製作年2001年。上映時間99分。

感動で包み愛と癒しの家族の物語。
息子を失った家族の苦悩と再生をあたたかな眼差しで描くイタリアンドラマ。
モレッティ監督自身が父親役、妻役は、80年代のモレッティ作品に出演していたラウラ・モランテ。

精神科医のジョバンニは、妻パオラ、娘のイレーネ、息子のアンドレアと幸せに暮らしていた。
が、ある日、アンドレアが事故で死んでしまう。
父ジョバンニは、事故の当日、息子とジョギングの約束をしていながら急患の往診に出てしまい、そのことで自分を責め、仕事もやめてしまう。
家族はいつまでも悲嘆に暮れ、いつしかお互いの関係さえも悪化させていく。
そんなある日、息子宛に一通の手紙が届く。
それは息子のガールフレンドからのものだった。
やがて、ガールフレンドと悲しみを分かち合ううち、家族の中にも少しずつ変化の兆しが見え始めていく

決して明るいわけでもなく、また、劇的な展開のある映画でもなかったけど、死の重さと、生の歓びを静かに繊細に描いた傑作やと思います。
個人的には、自然でリアルな手触りが残る、忘れられない大事な映画の一本になりました。
アンドレアの死後、すべてが物懐かしい雰囲気を醸し出していて、
実現できひんモン、
決して実現しないモン、
自分のところに訪れへんモンへの憧れ。
ほんで、その気持ちはメチャ強烈です。
喉元までつかまれて、同じ感覚で満たされ、本当に美しい。
イタリアの屈託のない日常生活の美しい映像やったし、すべてがのんきに始まり、それはとてもわかりやすかったかな。
どこやったか10代のとき世界中を歩き回ったとき、こないな体験をした。
喧騒の中にあって、実はとても静かな場所。
それが今回、とてもよく伝わってきたし、すべてが現実的で、シンプル。
ほんで屈託のないものに見えました。 また、家族関係も細部まで気持ちよく描かれていたし、家族の誰もがお互いに、そしてそれぞれの人生に満足しているように見えた。
せや、息子のアンドレアが窃盗の容疑をかけられたことで、小さな亀裂が入り始める。
致命的な出来事の後、皆がそれぞれ異なる反応を示し、一体感が消えてしまった。
そのことをさりげなく象徴しているんが、ジョバンニの父ちゃんが奥さんにひびの入った家財道具を見せているシーンです。
小生にとっては、それは家族の状況と同義だと感じた。
彼らの心の中は、起こったことによってひび割れ、引き裂かれとるけど、外見はそれを隠そうとしてる。
アンドレアの死後、喪に服すプロセスが始まり、皆がそれぞれの方法でそれに対処する様子が見られる。
ここでも、身近な家族を失ったときのシンプルでリアルな対応が重視されていた。
また、今作品の音楽の選択は絶対に効果的で、ブライアン・イーノの曲は本当に美しく、今作品の目的を達成していると思います。
歌詞を抜粋しときます。

This River  Brian Eno
Here we are stuck by this river
You and I underneath a sky
That's ever falling down down down
Ever falling down
Through the day as if on an ocean
Waiting here always failing to remember
Why we came came came
I wonder why we came
You talk to me as if from a distance
And I reply with impressions chosen
From another time time time
From another time.
      愚意訳kuu ことGeorge
行く手を阻むこの川(みちのり)
貴方と私が見上げた空は
果てしなく堕ちゆく
堕ち続ける
無窮(ながく)海に漂ってるかのやうに
ただ待ち続けているけれども
いつもわからなくなってしまう
どうして二人はここへ来たのか
私たちはなぜ来てしまったのか
貴女は私に話しかける
距離を置くかのように
私は答えるこの胸中に
過ぐる日抱いた感動と共に
昔の感動を思い出しながら

歌詞だけではなく、メロディも含めて、限りなく手の届かない憧れのような感覚を呼び起こしてくれました。
実際には、誰もが知っていると思われるのに、何とも云えへん感覚っす。
ラストシーンのフランスの海辺の映像が、イーノの音楽に支えられて、息苦しくなりました。
作中の家族は、
何が起こったのかを本当に理解し、
決して来ない何かを切望し、
再び希望を与えられる。
もう二度と同じことはない。
確かに、元に戻ることはないけど、人は前に進まなきゃならんし、今ならそうすることができる、出来そうな時がある。
私的には気持ちが伝わってくるとても善き作品でした。


末筆ながら中也の詩を。※今作品には一切でてきませんし引用もされてませんが。

  1

愛するものが死んだ時には、
自殺しなきゃあなりません。

愛するものが死んだ時には、
それより他に、方法がない。

けれどもそれでも、業が深くて、
なおもながらうことともなったら、

奉仕の気持に、なることなんです。
奉仕の気持に、なることなんです。

愛するものは、死んだのですから、
たしかにそれは、死んだのですから、

もはやどうにも、ならぬのですから、
そのもののために、そのもののために、

奉仕の気持に、ならなきゃあならない。
奉仕の気持に、ならなきゃあならない。

   2

奉仕の気持になりはなったが、
さて格別の、ことも出来ない。

そこで以前より、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。

テンポ正しき散歩をなして
麦稈真田(ばっかんさなだ)を敬虔に編み――

まるでこれでは、玩具の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇えば、にっこり致し、

飴売爺々と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなったら、日蔭に這入り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いわうようなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。
《まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。》

空に昇って、光って、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

久しぶりだね、その後どうです。
そこらの何処かで、お茶でも飲みましょ。

勇んで茶店に這入りはすれど、
ところで話は、とかくないもの。

煙草なんぞを、くさくさ吹かし、
名状しがたい覚悟をなして、――

戸外はまことに賑やかなこと!
――ではまたそのうち、奥さんによろしく、

外国に行ったら、たよりを下さい。
あんまりお酒は、飲まんがいいよ。

馬車も通れば、電車も通る。
まことに人生、花嫁御寮。

まぶしく、美しく、はた俯いて、
話をさせたら、でもうんざりか?

それでも心をポーッとさせる、
まことに、人生、花嫁御寮。

   3

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テンポ正しく、握手をしましょう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テンポ正しく、握手をしましょう。
kuu

kuu