ーcoyolyー

みじかくも美しく燃えのーcoyolyーのレビュー・感想・評価

みじかくも美しく燃え(1967年製作の映画)
3.2
モーツァルトの調べに乗せたヒロインのイメージビデオです。監督の監督による監督のためのフェチ動画詰め合わせ欲張りセットです。なのでストーリー部分や男優はAVのそれと大差ない扱いです。これカンヌで女優賞取ったらしいんだけどその監督の剥き出しの欲望が審査員の趣味嗜好と一致したベタな男どものベタな欲望が滴り落ちた結果としか言いようがない。ヒロイン可愛いけど演技に関しては『ゴッドファーザーPART3』のソフィア・コッポラとさして変わらない棒の倒れ方でしたよ。女優としての演技がこれで評価されてるとは思えない。ただ無垢で愛らしいお嬢さんがあんなことやあんなことまでしてくれて何かがはちきれんばかりになったんだろうなと。これ男性から女性への仕打ちだからこれほどまでに気持ち悪いのではなくて、監督から俳優へ、という力関係の差に依る気持ち悪さです。女性監督が男性キャストに同じようなことやらせてるの目の当たりにした時も同じ気分になってゲンナリしたから。

私は桐野夏生やジェーン・オースティンみたいに言葉が物語のための奴隷になっている読み物は「言葉を物語の奴隷にしてはならない」という自分とスタイルが違うなと思って、彼女たちのストーリーテリングは絶品だから楽しくすらすら読めるのと同時に悲しくもなるのですけど、映画にも同じことを感じるので「映画を物語の奴隷にしてはならない」という姿勢自体は嫌いじゃないんです。この映画、その点は極めて潔くてもうとにかくヒロイン推すための撮り方しかしてなくて物語軽やかに放り投げている点は評価できる。そして私が評価できる点はこれのみです。

言葉というのは私にとっては物語を語る手段や道具ではなく、それそのもの、文体それ自体で美しさを表現する目的物であるし、映画にも物語を語る手段や道具ではなく映画自体の美しさを見せつけて欲しいといつも願っている。この映画は、ともかくそれはあった。それの表現の仕方はまるで評価できないけども、映画の可能性に賭ける美しさはあった。
ーcoyolyー

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