るるびっち

孤独な場所でのるるびっちのレビュー・感想・評価

孤独な場所で(1950年製作の映画)
3.3
昔の犯罪映画は、単純なあらすじの中に当時では問題視されていなかった事を無意識に描いているケースがある。
『ガス燈』で、男性が女性を心理的に虐待する様を描いてそれがガスライティングという心理学用語になったりする。
サスペンスを作っただけなのだが、その時代に表面化していない問題を先駆的に描き出した。
本作も犯人と間違われるサスペンスと恋を失う悲劇に仮託して、気難しく怒りをコントロールできない人間を描いている。
「アンガーマネジメント」という言葉で、社会的に表面化する以前の作品。該当用語がなく、言葉で定義付けできなかった昔に先見性のある作家はそれを描くものだ。
文学ではなく、B級犯罪映画の中にそうした物を落とし込む。
それが映画の多様性と面白さだ。

本作は、どの視点で見れば良いのか分からない部分がある。
男性目線で見れば、プライド高く気難しい芸術家肌で更に怒りをコントロールできないことからの不幸。
彼が怒りをコントロールできないのは、自分で他人を退けていながら、他人が自分を理解してくれないことへの怒りが底辺にあるからだろう。
カワイクもないのに甘えん坊って、迷惑なだけである。
一方、女性目線で見れば、孤高さ故に愛した男が、犯罪者かも知れないという不安と恐怖。

アンガーマネジメントできない男の心理劇と見るか、犯罪者かも知れない男と知り合った女性のサスペンスドラマと見るか。
そう見ると面白い。
だからと言って、このレビューに騙されて見て詰らないと言われても困る。
基本的な話自体は、古い犯罪映画で緩いストーリーだからだ。
ストーリー自体は意外性もなく面白くない。
先見的な視点が含まれていると、勘繰った見方をした場合に面白さが隠れているのではないかという事だ。
面白さって自分で見つけるものだと思うから。

ただこれも時代性で、昔だから孤独な悲哀で済むのだが、今なら社会的に許されない。
気難しい男の我儘が許されたのは、男性の優位性を社会が容認していたからだ。
今、同じことをしたら社会から排除される。
アンガーマネジメントが出来ない人間は、結局その恨みを放火や散弾銃で晴らすしかないだろう。
今の時代、彼らの居場所はない。
昔は、悲哀と孤独で済んだだけマシなのである。
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