八木

トイ・ストーリーの八木のレビュー・感想・評価

トイ・ストーリー(1995年製作の映画)
4.8
 「4」対策で予習した。

 すげえ映画だった。90年台半ばのCGってことで、もちろんその辺の技術的表現の拙さはあるものの、冒頭に見られる「この映画におけるオモチャの立ち位置」を、オモチャ的な動きや個々のアイデンティティぽいものと合わせてコミカルに見せる脚本と演出の巧みさに度肝抜かれる。ディズニー・ピクサーのキッズ向け映画の硬さ、この時期にも完成されておりました。
 冒頭のシーンで好きなところ、例えばポテトヘッドが顔のパーツバラバラにされて放置されていたのに、持ち主のアンディが戻ってきたときに『顔のパーツが元に戻ってた』ということには一切触れていないところとかです。子供の頃、あったものが突然なくなったり、時空や場所が歪んだとしか思えない記憶が残っていたり、「中心部のそれ以外何も覚えていない」という子供っぽい適当な記憶の仕方をしていたような気がして、それは「子供が見ていない間、オモチャは意識を持って自由に動き回っている」という映画的なファンタジーと合わせて、なんとなく腑に落ちる流れになってたんですよ。多分挙げればキリがないくらいに、こちら側が理解を進めていく余地を心地よく残しているのに、そこに気張った形跡を感じさせないのって、素晴らしいよな。「子供向け」がどういう意味合いかを考えさせられます。
 あと、人間の立場として冒頭を眺めていたら「誕生日パーティがあるぞ」と危機的に呼びかけたりすることがピンと来なかったところ、オモチャたちにとっては『パーティ』=『プレゼント交換』=『新しいオモチャの訪問で部屋のラインナップの新陳代謝が行われる可能性がある』ってことと、イコールになっていることを、直接的な言葉を使わず、キャラクター紹介を兼ねながらスムーズに提示しているところなんかも「ハーおもしれえ」と思いながら見ておりました。

 当初、バズがスペースレンジャーキャラを押しながら行動しているところを半笑いで『ウッディにとっての災厄なのね』と見ていたのですが、彼がただのオモチャであることを自覚し、自分が何者かを知って絶望するところ、またウッディにとってアンディに大切にされないことがどれほど絶望であるかを、お互いに知って友人になる場面、泣きました。思い出してこれを書いている間も泣きそうになる。
 だからこそ、バズがオモチャのスペースレンジャーとして、ウッディがオモチャの保安官として生きていく喜びを与える場面のいくつかが感動を作っているのよな。これを80分とかできっちり収めるのって、最高の映画だと思いました。
八木

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