東京キネマ

マディソン郡の橋の東京キネマのネタバレレビュー・内容・結末

マディソン郡の橋(1995年製作の映画)
2.9

このレビューはネタバレを含みます

正直に言いますが、この映画は喰えません。私はダメでした。

製作直前までスピルバーグが監督することに決まっていたらしいんですが、シナリオが気に入らなくて断ったらしい。そこでピンチヒッターっていうことでクリントさんになったらしいけど、そこは大人のクリントさん、職人に徹してやったんでしょう。そもそもクリントさんお得意の分野じゃないし、「人としての矜持」に厳しいクリントさんだったらこういった話の展開には異論があるだろうし、でもそういったこと全て払拭して、プロデューサーやシナリオ・ライターの顔を立てて割り切ったんでしょうね。

先ず、導入部がいいです。冴えないオジさんと田舎のオバさんの恋愛なんて、導入部をどうするかってのが勝負所なんですが、これがうまいですね。オバさんの生まれたイタリアの小さな街を知ってる、ってことで心を開くんです。それも、煙草を吸う、ってことで見せてる。こういった小技がいいです。

それにこの映画、不倫のラヴ・ストーリーってだけじゃなく、ちゃんと家族の話になっている。最初どうも家族の回想シーンとか、子供がノートを読んだりするシーンとか、良く解らなかったんですが、これは、私にも私だけの人生があったのよ、でも家族への愛はそれ以上だったのよ、っていう子供へのメッセージなんですね。だから、ただの不倫映画とは全く違う構造なんです。細かいところでも色々演出が光っていますし、日常の描き方が矢張り抜群にうまいです。

でもね、どう考えても4日間の恋愛だけで人生を決定付ける、ってとこが引っかかっちゃうのですよ。そんなことはあり得ませんよ。そりゃただの幻想です。

大体人間どんなに大恋愛したって5年あれば忘れますよ。いや忘れなくても、心の扉に鍵をかけてそっとしまい込むもんです。それがむしろ人間としての矜持ってもんです。ましてや、死んだ後、自分史のガラクタを相手に送りつけたり、遺灰を想い出の場所に捨ててくれ、なんて、大迷惑ですよ。相手がどんな家庭環境になっているのか解らないのに・・・。

先ずね、アイオワの田舎でしか生活したことのないオバさんに、甘い言葉はダメですよ。焼けぼっくいに火が着いちゃうじゃないの。“僕の今までの人生は君と出会うためのものだった”って、何嘘こいてんのよ。ダメだよこんなセリフ言う男は。初めて会ってからたった3日でこんな事を言う男を信じちゃいけません。

女が矢張り亭主を裏切ることは出来ない、と言うと“それでも人は生き続ける・・・”だって、何言ってんの?この男バカなんじゃない?いい歳こいて。それに逃避行なんて出来る訳ないじゃない。撮影にかこつけて世界中遊び回ってる男(主人公はカメラマン)はそれまでの生活の延長だからいいけど、女の方は捨てるものが多過ぎますよ。フェアじゃないでしょ、そんなの。



クリントさんの映画っていいシーンの記憶は沢山あるけれど、何故かこの映画では嫌なシーンが目立ちます。先ず、65歳と46歳の濡れ場は見せなくていいですよ。第一、画ズラが汚い(笑・・・ゴメンナサイ)。だって、話の展開で十分解るじゃないの、そんなもん。恐らく、これもプロデューサーの顔をたててやったんだろうねえ。撮り方だっておざなりで、全然気が入ってないのもそのせいですよ。いや、おざなりだから良かったっていうのもあるんだけどね。力入ってたら、余計おぞましいもんね。(笑・・・たびたび、ゴメンナサイ)それと、お別れのシーンで見せるずぶ濡れのクリントさんにもビックリ。『雨の訪問者』の変質者が出てきたのかと思っちゃった。それに頭のてっぺんがズルズルじゃない。もうお願いしますよ、スプラッター・ムービーじゃないんだから。(笑)エンドシーンにしたって、何わざとらしく亭主に解るようにバックミラーにペンダントぶら下げるのよ。多少は人の家族のことも考えてあげなよ。


やっぱりねえ、恋愛映画は美しくないとダメですよ。汚いのは本当にダメ。それに、他人の不幸の上に成り立つ幸せはダメです。これが共感できない根本的なところですね。。