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荒野の七人のクレセントのレビュー・感想・評価

荒野の七人(1960年製作の映画)
3.8
今、あの「七人の侍」を書いた橋本忍に狂っている私は、「荒野の七人」をどうしても見たかった。何をリメイクしたのかをはっきり見定めたかったのだ。特に最後に生き残ったのは誰だったのかを知りたかった。橋本忍らが描いた「七人の侍」では統領の志村喬、その女房役の加東大介そして弟子の木村功だった。理由はわからぬが、志村喬を除いてはあまり侍らしからぬ役どころだけを生き残した格好であった。そこへいくと「荒野の七人」で生き残ったのは、統領のユル・ブリンナ―、一番仲の良いS.マックィーンそして若造のH.ブッフホルツだ。統領は生き残るとして、マックイーンを残したのは合点がいかない。そもそもマックイーンは誰をリメイクしたのだろうと思った。これが大きな謎だった。加東大介だとは誰も想像しないからね。というかマックイーンこそは菊千代の三船敏郎のリメイクなんだと思うしかない。「荒野の七人」の主役は彼だったからね。当時西部劇役者の彼は人気があったし、それに拳銃さばきはプロ並みと評判だったから、撃てないユル・ブリンナ―を教えたと本に書いてあった。しかし「三船がいたからこその七人の侍」と違って、「マックイーンがいたからこその荒野の七人ではなかった」ことは事実だった。そのうえ、木村功役のH.ブッフホルツが村の娘と一緒になるオチはハッピーエンドが好きなハリウッドの脱線である。ただ最後のユル・ブリンナ―のセリフが志村喬と同じだったのには驚いた。何故って、統領のユル・ブリンナ―は突然とこう言ったのだった。「最後に勝ったのは農民たちだ。俺たちはまた負けたのだよ。」このシーンは黒澤明が最も腐心して描いた印象的なシーンだった。それは4名の同志と村人たちの亡骸を盛り土にして、刀を突き刺した「あの有名な」シーンだった。そこへいくとJ.スタージェスは丘から村を見下ろした2人が馬上からあの名言を残した後、悠然と馬と共にその場を後にしたのだ。これは西部劇ではよくあるパターンで、むしろそうならば、「大いなる西部」のG.ペックとG.シモンズが余韻を残しながら並んで馬上からその地を後にしたW.ワイラーに軍配が上がるというものであろう。橋本忍らが「荒野の七人」を見て何と思ったのかは知らぬが、とにかく苦笑したに違いない。しかし、作品としてみると「荒野の七人」はその後続編が次々とでるし、またマカロニ・ウェスターンの生みの親でもあり、なにしろマックイーンは別にして、C.ブロンソンやJ.コバーン、R.ボーンを世に送り出した傑作西部劇として今でも人気があるのは、やはり「七人の侍」の個性ある侍づくりをした橋本忍らの功績ではないかと密かに思うのである。
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