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飢餓海峡のクレセントのレビュー・感想・評価

飢餓海峡(1965年製作の映画)
4.3
飢餓海峡と砂の器は、長い間常に日本映画のベストテンに君臨する秀作である。飢餓のほうは1965年、砂は1974年だから約10年の開きがある。ともに戦後の暗い時代に起こった殺人事件を発端に、刑事たちが10年もの時をかけて必死に犯人を追う展開が上手に描かれており、どちらも本当に面白い筋書きである。飢餓は鈴木尚之が書き、内田吐夢が撮った。また砂の方は橋本忍が書き、野村芳太郎が撮った。鈴木も橋本も日本ではその時代を背負った、指折りの脚本家であり、数々の名作を世に送り出したことでも有名である。ゆえに小生の感想としては、作品の出来はほぼ互角、映像と言いキャスティングと言い甲乙つけがたいのである。ただひとつ、私の中では飢餓海峡の左幸子の存在が砂の器を圧倒し、貧しさ故に女郎になり、一元の客だった三国連太郎を恋慕し信じてやまない、一途な女を見事に演じきったことで彼女無しにはこの映画は語れないものとなってしまった。原作の水上勉は、このような薄幸な女を描くことでも有名だが、この作品でも墨絵のなかにある真っ赤に咲いた一輪の花が見事に描かれていた。彼女の存在は、砂の器では人の好い警官を演じた緒形拳に対比されるが、幕が下りても彼女のつぶらな瞳が目に焼き付いて離れなかったのである。ただ作品として残念なのは、幕切れが如何ようであったのかが惜しまれた。手抜かりだったのか、それとも恣意的だったのか。原作を読んでないだけに解釈が伴わなかったのが心残りであった。
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