なべ

家族の肖像のなべのレビュー・感想・評価

家族の肖像(1974年製作の映画)
5.0
 本作のレビューは次に劇場で観る時と決めていたのだが、どうやら上映権が消滅したみたいで、4K修復版とかで復活する時まで見られそうもない。幸い、U-NEXTとアマプラで無料配信されてるから久しぶりに観てみた。

 家族の肖像が公開されたのは高校生の頃。ヴィスコンティが亡くなった時期と重なり、ちょっとしたブームになった。小6から萩尾望都を崇めている身としては、こうしたデカダンの香りがする文芸作品は見逃すわけがなかった。果たしてその世界観に圧倒され、格調高いテーマと重厚な演技に酔いしれ…とはならなかった。正直言うと、さっぱりわからなかったのだ。ストーリーは追えても、何を見せられたのか理解できないでいた。そのくせすごくいいものであることはわかる。ああ悔しい。
 こうしてぼくはこの作品を解りたいがために何度も名画座に足を運んだのだ(ビデオデッキが存在しなかった昭和の話ね)。同じ映画を何度も繰り返し観たのは本作と「2001年宇宙の旅」と「ローマに散る」(これも手擦った)くらい。ぼくの映画を観るチカラはヴィスコンティとキューブリックに鍛えられたといっても過言ではない。
 ちなみに今回もU-NEXT版とアマプラ版を続けて2回観たw(一長一短はあるが総じてアマプラのほうが画質はよかった)。

 人との関わりが煩わしくて、カンバセーションピース(産業革命時に中産階級で流行った家族の肖像画)に囲まれて暮らす孤独な老教授が主人公。これをバート・ランカスターが演じている。「山猫」の滅びゆく貴族・ファブリツィオでもそうだったが、貧しい出だとは信じられない威厳あるオーラ。とてもサーカスで空中ブランコに乗っていたとは思えない繊細な演技にため息が出る。天眼鏡で絵画を見ているだけなのにすごく教授だ。ヴィスコンティ映画ならではの本物のセットと馴染み過ぎ! 老人だが偏屈ジジイではなく、リエッタとの会話などからとてもチャーミングな人なのだとわかる。佇まいが紳士だしね。
 そして闖入者の登場。右翼の大物の妻・ビアンカ・ブルモンティ伯爵夫人だ。シルヴァーナ・マンガーノが演じていて、それはそれは艶やかでゴージャス。が、美しいけど眉毛が点線な時点で半分妖怪だから。
 若い愛人(+娘とその婚約者含む)のために教授の住まいの2階を貸せという強引な物言いがもう不快。本当に闖入者なのだ。優雅で品があるのに傍若無人。上流階級の暮らしが生来のわがままさに輪をかけたような傲慢な立ち振る舞いにイライラする。
 もちろん教授はきっぱり断るのだが、なんでも意のままに押し通してきた妖怪ババアに敵うわけがなく、結局押し切られちゃう。
 人と関わるのが嫌で孤独を通していた老人の生活が、闖入者たちによって掻き乱されるというストーリーね。
 これから観る人は、当時のイタリアが鉛の時代と呼ばれる政治的混乱期にあったことを念頭に置いて観てほしい。これを理解してないと、中盤の事件や終盤の悲劇の意味がわからないから。
 階上の住民コンラッドもこの時代の青年。学生運動に走り、過激派として当局にマークされ、大学を離れて追われる身に。そうして生き延びるためにたどり着いたのが金持ちマダムのヒモというポジション。容姿の華麗さが功を奏し、上流階級の情夫として何不自由のない生活を手に入れた。
 唾棄すべき相手の金で自由に暮らす過激派…ああ、いい矛盾じゃないか。対して、平穏な孤独を求めて家族の肖像に囲まれて暮らす教授。うーん、いい勝負だ。このシニカルな矛盾と対比が文学的と言わずして何と言おう。
 教授の目線や態度、カメラワークから、初対面でコンラッドの容姿に惹かれたのが見てとれるのだが、部屋の改装のトラブル時に、肖像画やモーツァルトのアリアへの思わぬ審美眼と教養に完全に持っていかれてる。いまなら同性愛の文脈で語られることだろう。実際、ヘルムート・バーガーはヴィスコンティと同棲してたしね。
 この頃、男色や少年愛が少女漫画で取り扱われていたこともあり、女性にしか欲情しない自分はなんとも狭量で偏狭な心の人間だ、成熟した大人ならば同性愛も嗜むべきとつまらぬことにこだわっていた。実は何度かトライしかけたこともあるのだが、悲しいかな、どこまで行っても女性にしか欲情できない男であると自覚するに至り、バイセクシャルの道は早々に諦めた。
 そんなぼくでも、コンラッドのシャワーシーンではおっと身を乗り出す。欲情こそしないが、ぼかしの入った局部を見て舌打ちはした。全裸のマリファナパーティのシーンも同じ。チンコくらい見せやがれ!

 終盤、教授が晩餐に招待するシーンでは、偽りではあるが家族の団欒が描かれ、静かなクライマックスを迎える。が、遅れて登場するブルモンティ夫人が破局を連れてくるんだよな。
 初公開時は互いに罵り合う会話の裏の事情まで思いが及ばず、どこがどう壊滅的なのかよくわからなかった。お互い愛や尊敬はなくても、その場限りの刹那的仲良しごっこを楽しんでたじゃんと。
 今はわかる。左翼政党の幹部たちの暗殺計画をコンラッドが通報したことで、ブルモンティ伯爵ら右翼の大物たちが国外に逃走しなければならなかったのだと。そしてそれはコンラッドと夫人との破局を意味するものだと。さらにコンラッドは必ず報復されるであろうと。
 憎しみながらもすがって生きていたブルジョワの世界から拒絶され、立ち去らねばならなかったコンラッドに、教授はというとただ傍観しているだけ。長年、人との関わりを絶ってきた老人には、こういう時にかける言葉が見つからないのだ。老人は瞬発力に欠けるしね。せっかく息子のように慕い始めていたというのに。

 そうして訪れる悲劇。

 いがみ合ってても、相容れなくても、何事もなかったかのように一緒にいるのが家族ってものなのだが(カンバセーションピースの家族のように)、コンラッドの死をもって偽りの家族ごっこは解消される。教授は今度こそ一人ぼっちだ。
 あれだけ煩わされた闖入者がみんないなくなる瞬間の(リエッタが握った手を離した時の)教授の哀れな表情を涙せずに見られようか。
 衰弱した教授ができることといえば、階上の間借り人の足音(=死)を聞きながら、後悔することだけなのだ。
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