円柱野郎

ゴッドファーザーPART IIの円柱野郎のネタバレレビュー・内容・結末

ゴッドファーザーPART II(1974年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

ヴィトー・コルレオーネの跡を継いだ前作から数年後のマイケル・コルレオーネと、若き日のヴィトーの姿を描いたシリーズ第2作。

シチリアで全てを失い9歳で渡米したヴィトーと、組織を纏めることに腐心するマイケルの姿を対比的に描いた構成が見事。
家族を得て、仲間を得て、街のドンとして名をあげていくヴィトーとは裏腹に、マイケルは“ファミリーのドン”としての行動によって敵どころか身内をも失っていく。
親子の運命のすれ違いとでもいうか、ラストの“誕生会”のシーンに集約されたヴィトーが得たものとマイケルが失うものの象徴的なシーンは、直前で描かれるフレドの粛清とも相まって鮮烈な印象を残すなあ。

作品的には多少の歴史的背景も知っておいたほうがいい場面があるだろうか。
移民として米国に渡るヴィトーが最初に訪れるエリス島は1950年代まで米国の移民局があった島で、20世紀初頭の移民にとっては象徴的な場所。
マイケルが“実業家”として会合に出席しているハバナは革命直前のキューバで、劇中でまさに革命が起きて脱出するシーンが描かれる。
特に解説じみた描写がないのはそれらが米国人にとっては常識だからかな。
そういう意味では流産したと思われていたケイが、実は「マイケルの子を生むことに耐えられず堕胎した」と告白するシーンも、カトリックにとって堕胎がどれほどの罪であるかを理解しているか否かで印象が変わるだろう。
あれはマイケルにとって強烈な自己の否定を浴びせられたシーンだ。

ファミリーのドンとして振る舞えば振る舞うほど、組織を維持しようと行動すればするほど周りから人を失っていくマイケル。
妹のコニーから看破された「あなたはパパのようにつよくしていただけ」というのはその通りなのだと思う。
ヴィトーの人生を目にしたからこそ、マイケルの姿に言いしれぬ虚しさがこみ上げる。
円柱野郎

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