horahuki

美女と液体人間のhorahukiのレビュー・感想・評価

美女と液体人間(1958年製作の映画)
3.2
次に地球を支配するのは液体人間!!

「液体人間?そんなもんいるわけねーだろ🤣」と科学者の意見を笑い飛ばした無能警察たちが「ごめん…いるわ…」と手のひらクルーするお約束感が笑える東宝変身人間シリーズの一作目。

当時世界各地で作られた反核不定形モンスター映画の日本代表。『マックィーンの絶対の危機』(『ブロブ』のオリジナル)とか英ハマーの『原子人間』『怪獣ウラン』、伊バーヴァ&フレーダの『カルティキ』あたりが有名どころかなぁ🤔私的には『原子人間』と『カルティキ』がツートップだった。

モンスターに襲われる恐怖をメインとして描いていた他作と異なり、本作は麻薬密売組織と警察との探り合いが大筋。そこにモンスターがこっそりと関与してくるような内容。麻薬ギャングの重要人物が突然失踪したために、その彼女だったヒロインにギャングと警察が監視の目を光らせる。だから張り込みのシーンが無駄に長く(しかも複数回)、キャバレーでの何の期待もスリルも発生する余地のない何か良くわかんない時間のせいで心が無になった。進行上あっても良いよね?なシーンに留まっていて、必然性が一切読み取れない。私が意図を読み取れていないだけかもしれないけれど…。歌はクソうまいんだけどなぁ…声が代役だからそんなに響かず…😓

水は「上から下」へと流れる。そんな落下運動を内包したものであるが故に、50年代後半という核の脅威が地表という日の当たる場所から地下へと流れ始めることに対する予感なり危機感なりが少なからず存在したであろう時代をそのまま体現するという巧さ。排水口に流れていく水のショットが非常に印象的で、忘れ去られようとしている驚異が「下から上」へと流れ始めることで、液体人間が社会に一石を投じる反核の怪物と化す。物理法則という絶対的なものへの反抗が、時の流れによる風化というこれまた絶対的なものに対する反抗へと転嫁されるのが面白い。本作のリメイクを作るなら今なのかも。

本作は東宝なので新東宝とは違い大人しめ。人が液体化するシーンは服の圧縮のみで表現。人体部分は見せない。人体の液化を見せるシーンでは静止画を緑色のモヤが覆っていくような描写。どちらかというと全体的に演出が上品だからこそ、サラッと口にする「液体人間に精神活動が引き継がれるのか」という突拍子もない議論が妙な余韻を引き摺らせる。この点について明確な答えは示されないのだけど、その一言によって悲恋の物語としての側面も感じ取れるようになっているのが丁寧で、科学と女性という新しい時代の幕開けまでも意識したものであるのがうまい。

でもあんまり好きじゃなかった…。私的には土屋嘉男さんがガスになる『ガス人間第一号』のが好き!
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