140字プロレス鶴見辰吾ジラ

となりのトトロの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

となりのトトロ(1988年製作の映画)
4.3
童心をいつまでもわすれないでいたい…でも忘れちゃうんだろうな…いつまでもトトロが見える人でありたい。

宮崎駿監督の生み出したマスターピース的なキャラクター。愛くるしい精霊であり、モンスターであるトトロ。おまけに小トトロ、中トトロ、大トトロとヤツはあらゆるフォームで攻めてくる…わけで。

猫バスに真っ黒クロスケの存在などファンタジックに傾倒した作品だが、クスノキの圧倒的な畏敬の念のような大きさ、轟々と鳴り響く風と森の木々、光と対比して闇や影の部分に存在する未知の恐怖、特に階段の上からドングリが落ちてくるシーンの階段の画面上奥に闇を持って構える奥行きの未知への恐怖…

あれ?これはホラー映画ですか?

サツキとメイの都市伝説なんて無粋な横槍は嫌いだが、今作のトトロの存在に触れるまでの流れはホラーのそれと同じに見える。

「子どものときにだけ、あなたに訪れる不思議な出会い」との歌詞のとおりファンタジックな世界に浸りながらも未知の世界への子ども心の好奇心をズンズンと駆り立てる作品だ。だから何度も何度も繰り返し子どもの頃に見ていたのだろうと思う。親にはビデオが擦り切れるまで見た作品だと言われた…

そう言えば書いているうちに感じたが、「隣のトトロ」はシャマラニズムに富んだ映画だと思う。いや、逆だ。トトロのような神話性、伝承性のある都市伝説的な切り口の世界をシャマラン監督も描くのだろう。シャマラン最高峰の「ヴィジット」を彷彿させる老婆の奇怪さ、森の中への畏敬と怖さ、何か軒下に小さなトトロを見るメイのシーンから「ヴィジット」の軒下シーンがフッと脳裏をよぎった。

子供たちの通過儀礼的な作品であり、通過儀礼的なホラー作品とのファンタジー作品とのコンタクトになる語りつぐべき映画だと思う。


今も深い森の中にはトトロがいるんだと思える大人でありたい。仕事に忙殺されて感性を失うような大人の世界に浸らないようにいつまでも隣にトトロを感じられる大人を生きることが子どもたちのためになる大人の生き方なのかな…と思う。