Angie

太陽を盗んだ男のAngieのレビュー・感想・評価

太陽を盗んだ男(1979年製作の映画)
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どうしようもない、これは青春映画。
形は過激なサスペンスを取りながらも、もはやモッズやロッカーズ的な青春色さえする傑作。

ストーリー設定や物語展開はかなりクレイジーでカルト映画的要素も感じるが、その中で主人公が次第に際立っていく。
本来ならば邪悪で最悪な犯罪犯であるはずの「9番」のことが、どうしても憎めない。
この感情は「ゼロ」が抱く気持ちと近しいかもしれない。
彼女はそんな9番のことを最初は冗談っぽく接し、本当を知ってからも彼をかばってしまう。
それは9番が被爆者であるがゆえの同情ではなく、彼の提案に感銘を受け、そしてシンパシーを感じてしまったことに尽きるだろう。
原爆を持ってるから、なんでもできる。何がしたい?
そのシンプルな問いは、ゼロを興奮させ、アラジンの魔法のランプ的に、おとぎの国に彼女を誘う。
9番にそんな強い意志はないが、ゼロはそこまで「シラけて」ないのだろう。シラけた世の中を夢で溢れさせる。そんな存在に感じて引き込まれ、彼女は数奇な運命を辿る。

肝心のシラけ男、9番に関して。
彼のことが最初から最後までわからない。
唯一わかるのは、彼が被爆し、そして命が残りわずかになってしまっていること。
作中ではっきりと原爆作成の意図や目的は述べられない。
というか、ないのだろう。
彼には何もない。最初から彼はまるで死んでいるのかのような、そんなシラけさがはびこっている。
全て興味関心、思いつき、そして後戻りはできないところまで来て、初めて焦る。
彼の抱えている過去も気持ちさえ、何もわからない。
そこにあるのは原爆と、ゼロに対する愛情と、そして山下さんへのホモセクシャルな執着心のみ。
決して反骨精神もない。

そういう意味では、彼の対比的モチーフが多く出て来たのは面白かった。
最初のバスジャックはいきなりの展開に度肝を抜かれたが、このおじさんこそ9番にとって真逆の存在であり、彼を最初に提示することで対比的に9番を描くことができる。
また鬼気迫る場面である渋谷のシーンは、労働メーデーを行なっており、これの中心となっているのは学生運動に明け暮れた団塊世代だ。

9番を犯罪者というよりは一人の男として、もはや世代の代表として描く。そしてその時に原爆というものはただの比喩に過ぎないのか、とまでも感じてしまう。
しらけ世代の感情表現や生態を、原爆の扱い方を通して描いているのかもしれない。

圧巻なのは、本作視聴前には何を言っているのかさっぱりだった予告編が、視聴後に見ると全ての謎が解けたかのようにわかるということだ。
そして、重要なのは、そこに彼らの意図や感情が表現されていることだ。(山下が崖っぷちの警察でチャンスを手にしたなんて本編からはわからない…..) 
予告編がもはや予告ではなく、後日談的におまけの要素となっているのだ。
Angie

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