Angie

天使のはらわた 赤い眩暈のAngieのレビュー・感想・評価

天使のはらわた 赤い眩暈(1988年製作の映画)
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「まあ、いっか」そんな軽さがある

この作品は少し異質であるのは何でだろう。軽いのか、重いのか、何でだろう。
デヴィットリンチのような夢のような空気に、ふわふわと浮かんでしまうのか、何でだろう。おそらく、今回の名美が、あまりにも実態のわかないような存在であること、そして今回の主役である村木が、あまりにもリアルに描かれていること、その二つが関係しているかもしれない。
 村木の事情はこれでもかというほど具体的に。彼の苦しみも夢のシーンなどでしっかりと胸に刻んだまま、そんな中にふと現れる名美。彼にとって、それは天使との出会いであったのだ。思わず犯してしまう彼の気持ちが、この私でさえ何となくわかる。乳首を吸う彼の口元は、母乳を吸うよう赤ちゃんに似ていた。そのあとの強姦の、荒々しい怒り。彼は全てをいきなり名美にぶつけていたのだ。遠慮も躊躇もなく。その姿にどこか共通点を覚えて切ない。
冒頭部分に描かれる名美の葛藤は、かなり現実離れしたものだった。患者に強姦未遂をされた挙句浮気現場に遭遇、からの交通事故からの強姦。このてんこ盛りの設定に精神崩壊せずに、何とも軽く「訴えてやるっ」って、あんた…呆れるばかりの精神力、いやいや。この名美は村木の天使なのだ。これくらいの実態離れは、村木の妄想や空想にも思えてしまう。彼らが過ごした廃墟での一晩、これが何とも美しい。ぶつ切りのカメラも、ズームアップしない落ち着いた彼らも、優しく冷たく彼等に当たる。ホテルでのシーンは情熱的に、しつこくしつこく。そのあと、村木は目覚め名美がいないことに気づいて「まあ、いっか」のセリフ。これは村木が待ち合わせにこなかった時に名美が呟くセリフと一緒だ。
「まあ、いっか」彼等は劇的に違いを重要視していなかった。人生の荒波同士が偶然巡り会い、ひと時を共にしただけであってそれ以上もない。それ以下もない。実際村木は他の作品のように、「やり直す」ための待ち合わせをしたのではない。ホテル代も払えないから、どこか違う場所で寝ましょうという趣旨の待ち合わせであったのだ。互いの傷を(メインは村木の傷)を舐め合うだけであり、そこで二人は終わる。名美の場合も最後に「とにかく仕事仕事!頑張らなくっちゃ!」という。もうすでに先を見ていた。朝になった時のセリフ「来ませんね・・・ということです!」からもわかるように、彼女は非常に前向きである(のふりをしている説の方が濃厚ですが)これは他の名美とは違って非常に爽やかに、転落人生も免れていることも示す。村木は撃ち殺されたが、それも彼の状況を思うとハッピーなのかもしれない。一見見るとバットエンドに思いがちだが、「まあ、いっか」と肯定的な結末なのではないだろうか。同時にその薄情な切なさに涙も溢れてしまうけれど。テネシーワルツに合わせて踊る彼女はまさに、天使。シリーズ最高傑作。
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