Angie

白い指の戯れのAngieのレビュー・感想・評価

白い指の戯れ(1972年製作の映画)
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少女は自分を犠牲にできる

最初、レッカーされる車を見て泣くような少女だったゆきは、衝撃的な「女に生まれてよかった」というセリフを吐くまで大人の階段をかけあがる。しかし、心はずっと少女のままだった。レッカー車に同情できるくらいの、まだ何を大切にすべきかわからない少女。完全に利用されているのに、どこかずっと純愛を信じているのだろう。だからこそ、彼女は自分を犠牲にできる。拓を守ろうとする。そこには彼女の壮大な勘違いが含まれるものであり、夢から覚めない彼女の自己犠牲に少し共通点さえ感じた。私もまだ一人の男しか知らない少女なのかもしれない。少女が大人になる手前の繊細な時期と、大人になりきれないゆきの勘違い自己犠牲が合間って、なんとも言えない切ない気持ちにさせられる。あと1年遅かったら、彼女は自分の間違いに気づくかもしれない。後5年遅かったら、彼女は再生できるかもしれない。この物語の冒頭、彼女の処女喪失のシーンはなんとも言えず雑に描かれた。「儀式は終わった」そういう風に二郎は言う。彼女が大人になるための儀式、しかし心は大人になりきれなかったのだ。

この作品なんとも美しいのは、詐欺グループの泡風呂シーン。ここで垣間見える切なさと、若さのエネルギーの対比は素晴らしい。そして、最後にゆきが拓とするセックスシーンもいい。拓は無表情でありながら、ゆきは今までで一番仰け反り返って声をあげる。この手のロマンポルノではあまり描かれない騎乗位、ゆきのオナニーにも見えてしまうような演出が切ない。思いはこの時すでにすれ違っていた、しかし快楽に目が眩んでゆきはそのことに気づけないのだ。
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