Angie

Wの悲劇のAngieのレビュー・感想・評価

Wの悲劇(1984年製作の映画)
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もう一人の自分は厄介だけど

正直ここまで涙が出るとは思わなかった。そしてその涙の理由が全くよくわからない。練り込まれた脚本、舞台と相まって上がっていくスクリーンのボルテージ、薬師丸ひろ子の女優魂、流れる「Woman 」のメロディ。いい映画というのは無条件に涙が出る。話に感動して、というわけではなくて。(話だけに感動して泣ける映画は自分にとっては三流)様々な要素が絡み合い、重厚で深い感動にさらされて、とにかく涙が溢れてしまうのだ。日本映画でこのレベルに達した映画は今までになく(鑑賞回数も少ないし)驚いた。今のところの日本映画第1位かもしれない(天使のはらわた 赤い眩暈といい勝負)

もう一人の自分が冷静に自分のことを見つめ、本当のことでさえ演技をしているように思えてしまう。そんな経験は誰しもある。この映画は、二人の(Double-Wの)自分の映画であり、厄介な自分との闘いの映画である。夢に向かって頑張る中で現れたチャンス、それを利用するのを拒む自分と引き受ける自分の闘いがまずあって、そして引き受けた先に待っているのは、壮大な「もう一人の自分」による演劇の連続であった。静香がホテルの部屋で、つぶやくセリフ「一ベル、二ベル、音楽スタート、客電落ちて、緞帳アップ・・・はい!」は、全ての開始の合図。ここからは全てが、静香の演技だとしたら。それが一番切ないのがカーテンコールのシーンだ。あんなまでに拍手喝采のはずなのに、もちろん静香も笑顔でそれに答えているのだが、これは演技なのだ。舞台上でもマコという役を演じながら、現実世界でも愛人という役を演じている。この役は言い方を変えればもう一人の自分(欲に負けて引き受けた自分)である。本当の静香のことを愛していた森口はだからこそ彼女に厳しく当たってみせる。終わり方はあまり腑に落ちない(殺人未遂に持っていかなくてもいいけれど、時代柄ですかね)けれど、静香が役を終了して、もう一人の自分と付き合う決意を固めるストーリーの方向には涙が出た。厄介だけど、ねって笑って去っていく静香を拍手で送る森口。それに応える静香。まさにこの瞬間、彼女の演技は終了する。幕は閉じるのだ。この計算された演出に鳥肌がたった。素晴らしいの一言。

何しろ、薬師丸ひろ子の素晴らしすぎる演技よ・・・!演技を演技するという絶妙に難しい役を見事に演じきった彼女、当時20歳。同い年。日本語話者だからこそ、その言葉の使い方や細かい息遣いで演技の素晴らしさがわかる。
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