Angie

恋人たちは濡れたのAngieのレビュー・感想・評価

恋人たちは濡れた(1973年製作の映画)
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こういう映画がわかる「平成最後の」モーメント

平成も末期、こんな時期にこの映画がしみるのは、今俗にいう「エモい」が溢れているからかもしれない。「エモい」なんて言葉の定義はしっかりしていないし、私もなんとなく理解をしているだけなのだが。この映画が描き出した風景は、それこそ心の中の原風景、懐かしさ、「エモい」の塊だ。(個人的に、です)
何かから逃げてきた男は、自由の象徴である自転車に乗りながらフィルムを運び、雇い主を抱いて、女を強姦して、ふらふらと歩いている。その男の存在意義は全くもって描かれない。彼のすることはまとまりもなく、理解に苦しい。しかし、彼の背負う黒い黒い過去が彼をそうさせていること、もう以前のような過去の自分には戻れないこと、その寂しさだけをいっぱいに感じることができる。歌うのは三波春夫の歌、10年くらい前の出来事を思い出しながら、過去に思いをはせるが、今の自分はみっともない。どうしようもない憤りを隠す主人公は、女の前だけ荒々しく現れてしまう。最後、洋子を抱かない理由を言いかけたが、私は、その憤りを洋子に向けたくなかったから抱かなかったのだと解釈した。生欲には素直になってしまう自分のみっともなさを、彼はしっかり理解していたのだ。
男二人女一人の構図といえば、「俺たちに明日はない」を思い出す演出だ。房総の暗く寒い海辺で馬跳びをする三人の構図はなんともいえない。西部開拓時代の草原で二人乗りは全くわからなかったけれど、この映画の景色はなんとなくわかる。今に通じるものが、何かしらある。それこそ、「エモい」なのかもしれない。
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